1967年のサンケイアトムズ
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1967年のサンケイアトムズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
58勝72敗5分 勝率.446[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都新宿区 |
球場 | 明治神宮野球場 |
球団組織 | |
オーナー | 水野成夫 |
経営母体 | 産業経済新聞社 |
監督 |
飯田徳治 中原宏(代行。5月23日 - 7月4日) |
« 1966 1968 » |
1967年のサンケイアトムズ(1967ねんのサンケイアトムズ)では、1967年のサンケイアトムズの動向をまとめる。
この年のサンケイアトムズは、飯田徳治監督の2年目のシーズンである。
概要
[編集]この年は新戦力を大量投入、ドラフトで奥柿幸雄・加藤俊夫・武上四郎・浅野啓司ら、新外国人にデーブ・ロバーツ、トレードで西鉄から城戸則文、近鉄から山本八郎が移籍した。だが開幕3試合目、城戸の活躍によってチームの顔とも言えるべき主力・徳武定祐の連続試合出場記録が821試合でストップ。これがきっかけでチーム内部に亀裂。チームは相次ぐ連敗で5月23日には飯田監督が休養、中原宏ヘッドコーチが監督代行に。ところが交代直後に9連勝(監督交代後の最多連勝)、一気に上昇と思われたが再び低迷し、前年から勝ち星を6つ増やしたものの大洋との4位争いに敗れて最後は5位に甘んじた。飯田監督はこの年限りで辞任、300勝投手・別所毅彦が新監督に就任した。戦力面では武上が阪神の江夏豊との争いを制して佐藤孝夫以来の新人王を獲得。打率は.299で、終盤のケガによる出場不能状態が無ければ、1958年の巨人・長嶋茂雄以来の「新人3割」になるところだった。長年貧打だった打撃陣はロバーツ・武上の加入で503得点はリーグ3位、120本塁打はリーグ4位と長打力がアップし翌年の4位につながる。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 左 | 山本八郎 |
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2 | 遊 | 矢ノ浦国満 |
3 | 中 | ジャクソン |
4 | 右 | ロバーツ |
5 | 三 | 城戸則文 |
6 | 一 | 豊田泰光 |
7 | 二 | 武上四郎 |
8 | 捕 | 岡本凱孝 |
9 | 投 | 村田元一 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 阪神 | 阪神 | 6.5 | 中日 | 6.0 | 中日 | 6.5 | 中日 | 17.0 | 中日 | 15.0 | 中日 | 12.0 | |
3位 | 大洋 | 1.0 | 中日 | 7.5 | 阪神 | 8.0 | 阪神 | 10.0 | 阪神 | 17.5 | 阪神 | 15.5 | 阪神 | 14.0 |
4位 | 中日 | 2.5 | サンケイ | 10.0 | サンケイ | 13.0 | サンケイ | 13.0 | 大洋 | 22.5 | 大洋 | 23.0 | 大洋 | 25.0 |
5位 | 広島 | 3.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 16.0 | 大洋 | 17.0 | サンケイ | 24.0 | サンケイ | 26.0 | サンケイ | 26.0 |
6位 | サンケイ | 8.0 | 広島 | 16.5 | 広島 | 17.0 | 広島 | 19.5 | 広島 | 30.0 | 広島 | 34.5 | 広島 | 37.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 84 | 46 | 4 | .646 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 72 | 58 | 4 | .554 | 12.0 |
3位 | 阪神タイガース | 70 | 60 | 6 | .538 | 14.0 |
4位 | 大洋ホエールズ | 59 | 71 | 5 | .454 | 25.0 |
5位 | サンケイアトムズ | 58 | 72 | 5 | .446 | 26.0 |
6位 | 広島カープ | 47 | 83 | 8 | .362 | 37.0 |
オールスターゲーム1967
[編集]→詳細は「1967年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ | 飯田徳治 | |
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ファン投票 | 選出なし | |
監督推薦 | 鈴木皖武 | ジャクソン |
できごと
[編集]- 5月22日:飯田徳治監督が不振の責任を取って休養。中原宏ヘッドコーチが代行に。
- 10月9日:中日戦(横浜公園平和野球場=現:横浜スタジアム)が、チームにボールを納めている運動具店の車が交通渋滞に巻き込まれ、予定より37分遅れる。「ボールが来ないので試合が遅れる」という珍しい例。
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |
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選手名 | タイトル |
武上四郎 | 新人王 |
ベストナイン |
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選出なし |
ドラフト
[編集]→詳細は「1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備位置 | 所属 | 結果 |
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1位 | 中野孝征 | 内野手 | 日本楽器 | 入団 |
2位 | 簾内政雄 | 投手 | 日本鉱業日立 | 入団 |
3位 | 奥宮種夫 | 捕手 | 九州工業高 | 入団 |
4位 | 高井諭 | 投手 | 日本コロムビア | 入団 |
5位 | 松岡弘 | 投手 | 三菱自動車水島 | 翌年シーズン中に入団 |
6位 | 横山忠夫 | 投手 | 網走南ヶ丘高 | 拒否・立教大学進学 |
7位 | 山口久仁男 | 内野手 | 津久見高 | 拒否・日本鉱業佐賀関入社 |
8位 | 長野哲 | 投手 | 佐沼高 | 拒否・熊谷組入社 |
9位 | 飯田光男 | 投手 | 東京鉄道管理局 | 拒否 |
10位 | 滝武峯 | 投手 | 磯原高 | 拒否・中央大学進学 |
11位 | 中新井明 | 投手 | 鹿沼農商高 | 入団 |
12位 | 松尾幸一 | 内野手 | 中津工業高 | 拒否・東芝入社 |
13位 | 柴田利郎 | 捕手 | 大館商業高 | 拒否・日本鋼管入社 |
14位 | 高尾訓光 | 投手 | 松下電器 | 拒否 |
15位 | 河本昭人 | 投手 | 本田技研 | 拒否 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1967年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月31日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 147
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 阪急ブレーブス | 2位 | 西鉄ライオンズ |
3位 | 阪神タイガース | 4位 | 大洋ホエールズ | 3位 | 東映フライヤーズ | 4位 | 南海ホークス |
5位 | サンケイアトムズ | 6位 | 広島カープ | 5位 | 東京オリオンズ | 6位 | 近鉄バファローズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||