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1955年のトンボユニオンズ

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1955年のトンボユニオンズ
成績
パシフィック・リーグ8位
42勝98敗1分 勝率.300[1]
本拠地
都市 神奈川県川崎市
川崎球場
球団組織
オーナー 高橋龍太郎
経営母体 高橋龍太郎(個人出資)
監督 浜崎真二(9月まで)
笠原和夫(9月から)
« 1954
1956 »

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1955年のトンボユニオンズは、浜崎真二監督の2年目のシーズンである。

概要

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トンボ鉛筆製作所との業務提携により、高橋からトンボに球団名が改称されたこの年はAクラス入りが期待されたが、開幕12連敗で始まる最悪のスタート[注 1]。連敗脱出後もチームの成績不振はなおも続き6月に8連敗を喫するなど月間で7勝18敗と負け越すと、7月下旬からの8連敗で近鉄大映などBクラスに突き放された。9月にも6連敗するなど大きく負け越し、浜崎監督がノイローゼに陥った。結局シーズン終盤で浜崎監督が休養し、残りのシーズンを笠原和夫選手兼任監督で戦ったものの低迷に歯止めをかけられず、2年ぶり優勝の南海に57ゲーム、7位東映に9ゲームもつけられて初の最下位。トンボ鉛筆製作所との業務提携はこのシーズン限りで、翌年には高橋ユニオンズの名称に戻った。また、このシーズン限りで300勝投手のヴィクトル・スタルヒンが引退した。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 栗木孝幸
2 前川忠男
3 東谷夏樹
4 レッカ
5 笠原和夫
6 山田利昭
7 河内卓司
8 萩原昭
9 野村武史
1955年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 南海 -- 西鉄 -- 南海 -- 西鉄 -- 南海 -- 南海 -- 南海 --
2位 西鉄 0.5 南海 1.5 西鉄 2.0 南海 0.0 西鉄 2.5 西鉄 4.5 西鉄 9.0
3位 毎日 1.5 毎日 4.5 毎日 4.5 毎日 9.0 毎日 10.0 毎日 11.5 毎日 14.0
4位 阪急 7.5 阪急 10.0 近鉄 14.0 阪急 11.0 阪急 13.5 阪急 18.0 阪急 19.0
5位 近鉄 9.5 近鉄 10.5 阪急 14.5 近鉄 19.0 近鉄 26.5 近鉄 28.0 近鉄 39.0
6位 東映 10.5 大映 16.5 東映 23.0 大映 29.0 大映 34.0 大映 41.5 大映 46.0
7位 トンボ 12.0 トンボ 17.5 大映 23.5 東映 29.5 東映 37.0 東映 44.0 東映 48.0
8位 大映 14.5 東映 18.0 トンボ 26.5 トンボ 34.5 トンボ 44.5 トンボ 51.5 トンボ 57.0


1955年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 99 41 3 .707 優勝
2位 西鉄ライオンズ 90 50 4 .643 9.0
3位 毎日オリオンズ 85 55 2 .607 14.0
4位 阪急ブレーブス 80 60 2 .571 19.0
5位 近鉄パールス 60 80 2 .429 39.0
6位 大映スターズ 53 87 1 .379 46.0
7位 東映フライヤーズ 51 89 3 .364 48.0
8位 トンボユニオンズ 42 98 1 .300 57.0

オールスターゲーム1955

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ファン投票 選出なし
監督推薦 山田利昭

できごと

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選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

脚注

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注釈

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  1. ^ のちに1979年の西武ライオンズ(2引き分けを挟む)に並ばれるが、開幕初戦からの引き分けなしの12連敗は現状この年のトンボの1例のみである(参考資料・【データ】阪神が開幕8連敗 9連敗でセ記録更新 最長記録はトンボと西武の12連敗(日刊スポーツ))
  2. ^ 当時はスタルヒンの1939年の勝利数を40勝に訂正していたため、9月4日の大映戦(西京極球場)が300勝目とみなされていた(1939年の記録が以前の数値に戻されたのは1962年)。

出典

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