滝良彦
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1929年6月30日 |
没年月日 | 2017年3月18日(87歳没) |
身長 体重 |
174 cm 64 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1952年 |
初出場 | 1952年9月23日 |
最終出場 | 1959年7月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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滝 良彦(たき よしひこ、1929年6月30日 - 2017年3月18日)は、愛知県名古屋市[1]出身のプロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]名古屋商業から名古屋外国語専門学校(南山大学の前身)へ進み、愛知トヨタ自動車に入社。
1952年に毎日オリオンズへ入団[1]。しかし、思うような成績が残せずに1954年にこの年に創設された高橋ユニオンズへ移籍する。浜崎真二監督は開幕戦の阪急戦の先発にこれまで実績の無かった滝を開幕投手に指名した。この試合、滝は4回まで本塁打による1点で抑えたが5回につかまり、降板した。チームはこの試合敗れている。その後も先発として投げ、最終的に55試合に登板し、16勝を挙げる。自身としても初の2桁勝利であり、これはチームでもトップの成績だった。
翌年もユニオンズの先発陣の一人として9勝、大映と合併した1957年は13勝を挙げ、3年ぶりの2桁勝利を記録した。毎日と合併した翌年からは出場機会も減り、1959年を最後に引退した[1]。
サイドスローからスライダー、カーブ、シュート、ドロップを武器とした。
引退後は愛豊物産(愛知トヨタ自動車の関連会社、後のトヨタカローラ愛豊)に入社、定年まで勤め上げた。2017年3月18日午後11時19分、慢性閉塞性肺疾患で死去。87歳没[2]。
滝の没後、南山大学の後輩である中京テレビ放送のアナウンサー・佐藤啓が、2020年に滝の評伝として『無名の開幕投手』(桜山社)を出版した[3]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1952 | 毎日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 4 | 0.1 | 3 | 1 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 9.00 |
1953 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 37 | 8.0 | 11 | 2 | 3 | -- | 0 | 7 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.50 | 1.75 | |
1954 | 高橋 トンボ 高橋 |
55 | 27 | 14 | 2 | 0 | 16 | 19 | -- | -- | .457 | 1145 | 286.0 | 209 | 14 | 92 | -- | 8 | 159 | 2 | 0 | 85 | 70 | 2.20 | 1.05 |
1955 | 46 | 20 | 7 | 2 | 1 | 9 | 14 | -- | -- | .391 | 825 | 198.2 | 181 | 19 | 51 | 3 | 8 | 89 | 4 | 0 | 93 | 81 | 3.66 | 1.17 | |
1956 | 38 | 23 | 1 | 1 | 1 | 6 | 20 | -- | -- | .231 | 696 | 165.1 | 160 | 8 | 40 | 1 | 4 | 64 | 2 | 0 | 90 | 72 | 3.90 | 1.21 | |
1957 | 大映 | 49 | 30 | 6 | 4 | 1 | 13 | 9 | -- | -- | .591 | 845 | 205.1 | 188 | 16 | 71 | 1 | 4 | 70 | 1 | 1 | 84 | 70 | 3.06 | 1.26 |
1958 | 大毎 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 107 | 24.2 | 24 | 3 | 11 | 0 | 1 | 9 | 0 | 0 | 17 | 16 | 5.76 | 1.42 |
1959 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 43 | 9.0 | 13 | 0 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 6 | 5 | 5.00 | 1.78 | |
通算:8年 | 213 | 103 | 28 | 9 | 3 | 44 | 63 | -- | -- | .411 | 3702 | 897.1 | 789 | 63 | 271 | 5 | 26 | 400 | 9 | 1 | 380 | 319 | 3.20 | 1.18 |
- 高橋(高橋ユニオンズ)は、1955年にトンボ(トンボユニオンズ)に、1956年に高橋(高橋ユニオンズ)に球団名を変更
記録
[編集]- 初登板:1952年9月23日、対大映スターズ21回戦(後楽園球場)、5回裏から2番手で救援登板、1/3回1失点
- 初先発登板:1954年3月27日、対阪急ブレーブス1回戦(阪急西宮球場)、5回3失点で勝敗つかず
- 初勝利・初完投勝利:1954年4月5日、対南海ホークス1回戦(川崎球場)、9回2失点
- 初完封:1954年8月22日、対大映スターズ17回戦(川崎球場)
背番号
[編集]- 51 (1952年 - 1953年)
- 16 (1954年 - 1956年 1958年 - 1959年)
- 14 (1957年)
脚注
[編集]- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、327ページ
- ^ 蛭間豊章(「Baseball inside」 ) (2017年11月13日). “高橋ユニオンズOB会よ永遠に(第8511回)”. スポーツ報知. 報知新聞社 2017年12月22日閲覧。
- ^ 蛭間豊章 (2020年12月11日). ““ズームイン!!朝!”の名物アナが野球本を書いた。「無名の開幕投手」滝良彦の軌跡”. スポーツ報知. 報知新聞社 2010年12月11日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 滝良彦 - NPB.jp 日本野球機構