鬼死骸
おにしがいむら 鬼死骸村 | |
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廃止日 | 1875年10月17日 |
廃止理由 |
合併 鬼死骸村、牧沢村 → 真柴村 |
現在の自治体 | 一関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | Template:地方区分水沢県 |
都道府県 | 水沢県 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
403人 (鬼死骸村絵図、1818年) |
隣接自治体 | 一関村、有壁村 |
鬼死骸村役場 | |
所在地 | 水沢県{{{所在地}}} |
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ウィキプロジェクト |
鬼死骸(おにしがい)は、現在の岩手県一関市の南町、千代田町、台町及び真柴の一部の地域にかつて存在した鬼死骸村に当たる地域[1]。
概要
[編集]奈良時代から村落があったと言い伝えられ、当時は吾勝郷桜野荘[2]と呼ばれていた。
801年(延暦20年)、蝦夷征伐のため陸奥国へ侵攻した坂上田村麻呂が大武丸を討伐し、その亡骸を埋めたことに由来して鬼死骸と呼ばれるようになったと言い伝えられている[3]。ただし史実に基づく地名伝説ではなく、霧山禅定(衣川村)などと同じく江戸時代の東北地方で盛んにかたられた奥浄瑠璃『田村三代記』の内容と直接関係しつつ江戸時代以降に創出された田村語りに基づく地名伝説である[4][5]。なお近隣の坂上田村麻呂伝説として、大武丸を斬首した際に首が飛んで落ちたところが現在の宮城県大崎市の
本来は鬼死骸は一関、二関、三関を含んだ地を称した[6]。
明治維新の折に、行政村としても鬼死骸村と呼称するようになったが、1875年(明治8年)10月に、水沢県による村落統合で牧沢村と合併し、真柴村となった[7]。1889年(明治22年)4月1日には町村制施行に伴い、近隣地域との合併で真滝村が発足した。
その後も通称として鬼死骸という地域名は残り、栗原市民バスの鬼死骸停留所が2016年(平成28年)3月末まで存在していた[7]。
2019年(令和元年)には、漫画『鬼滅の刃』の人気にあやかり、3か年計画による地域おこしが図られた[8][9]。2021年にはバスツアーが実施された[1]。
地理
[編集]大武丸の埋葬地には「鬼石」とよばれる巨石を置いたとされ、近くにはあばら骨が埋められた場所と伝えられる「肋石」と坂上田村麻呂が平安を祈願して勧請したとされる鹿島神社があり[10]、鬼石共々現在に至るまで同じところにある[3]。
1818年(文化15年)に仙台藩士佐藤勇右衛門が仙台藩に提出した鬼死骸村絵図の控えによれば、村を有壁海道(奥州街道、現国道4号)が縦貫し、村内で
観光名所
[編集]- 鬼石 - 大武丸の亡骸を埋めたとされる場所[1]。
- 鹿島神社 - 801年(延暦20年)に坂上田村麻呂が大武丸を討伐した後に勧請した神社。
- 鬼死骸八幡神社 - 1062年(康平5年)に源頼義が勧請した神社[7]。
- 鬼死骸停留所 - 町おこしの一環で整備された休憩所[10]。
- 豊吉之墓 - 東北地方で初期の頃に人体解剖された罪人の墓。一関市指定有形文化財。
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鬼死骸停留所
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鹿島神社
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鬼死骸八幡神社
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鬼石
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肋石(写真右の石)
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豊吉之墓
鬼死骸を舞台にした作品
[編集]- 『鬼死骸村の殺人』(吉村達也)
脚注
[編集]- ^ a b c 日本放送協会. “「鬼死骸村」訪ねるツアー 村が実在した岩手県一関市で開催”. NHKニュース. 2021年10月13日閲覧。
- ^ 復刻真滝村誌 p.8
- ^ a b c “鬼死骸村絵図 | 近世 | 一関のあゆみ | 館蔵品 | 一関市博物館”. www.city.ichinoseki.iwate.jp. 2021年7月11日閲覧。
- ^ 阿部幹男 2004, pp. 9–10.
- ^ 阿部幹男 2004, pp. 111–115.
- ^ 復刻真滝村誌 p.8
- ^ a b c “伝説調査ファイル№6 「鬼死骸(村)伝説」”. いちのせき市民活動センター. 2021年7月11日閲覧。
- ^ “「鬼死骸村」広めたい 一関・真柴地区、 「鬼滅」人気あやかる”. なびたび北東北. 2021年7月11日閲覧。
- ^ “ここは「鬼死骸」の停留所 岩手・一関 蝦夷の伝説、村名に残る”. 河北新報オンラインニュース (2021年2月8日). 2021年7月11日閲覧。
- ^ a b “蝦夷の将の亡骸埋めた岩手「鬼死骸村」は今 : We Love みちのく : 地域”. 読売新聞オンライン (2021年6月24日). 2021年7月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 阿部幹男『東北の田村語り』三弥井書店〈三弥井民俗選書〉、2004年1月21日。ISBN 4-8382-9063-2。
- 真滝村志史復刻刊行委員会『復刻真瀧村志』一関プリント社出版部、2003年6月10日