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高内秀剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高内秀剛[1][2][3][4](たかうち しゅうごう[1][3][4]1937年[5][2][6][3][7][8][9][4](昭和12年)[10][11][1][12][13][14][6][15][8][16]10月17日[1][13][17][8] - )とは、栃木県芳賀郡益子町陶芸家[18][8][4][19]

窯の名称は「百童窯」[13][19][20][21]

大胆かつ力強く豪快で荒っぽい作風を持ち[22][23][2][4][19][24]織部志野を中心とした釉薬使いと[2][7][4][19]、そして独特な造りの手桶[7]と手付鉢[25]で知られ[26]、その独特な織部釉作品は「高内織部」と呼ばれている[9]

経歴

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生い立ち

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1937年[5][6][3][7][8][9][4][19](昭和12年)[10][11][1][12][14][6][15][8]10月17日[1][17][8]東京都に生まれる[5][10][11][1][12][6][3][7][15][17][8][9][4][19]

東京都立文京高等学校時代には[12][27][9]、3年間ずっと同じクラスの同級生であり[27]、高内とは無二の親友となり長い付き合いとなる[27]、後に版画家となり東京芸術大学名誉教授となる中林忠良[27]と同じ美術部に入部し、代替わりを契機として2人で共に「活気溢れる新しい美術部」を作った[23][28]。高内と中林は共に芸大を志望し部室に籠もり[27]、見様見真似で油絵を描いたり石膏デッサンをしたり、また文学部や演劇部にも参加し、色んな仲間たちと共に青春を謳歌した[28]

文京高校を卒業後[22][12][17][9]、芸大の図案科を目指したが、一度だけの挑戦で諦めざるを得なくなり[29]挫折した[22]。グラフィック・デザイン社を経て[22][7]仕方なく東京中央郵便局に窓口担当としてそろばんを弾きながら[29]勤務し[27]、阿佐ヶ谷美術学園(現在の阿佐ヶ谷美術専門学校)に通った[22]

益子と陶芸との出会い

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中央郵便局での三交替制の勤務の合間に美術学園に通い油彩を学んでも満足出来なかった高内は[22]、3、4年経った頃、中林に誘われるままに、たったの1日、物見遊山のつもりで[29]益子を訪れた[10][27][7]

益子焼の様々な窯元や[7]民芸店を回るうちに[10]、「俺がやりたかった仕事はこれではないか?」と心が動かされた[10][7][23]。帰りの真岡線の電車の中で高内は中林に「指先に土の感触が残っている」とポツリと呟いた[27]。中林はその呟きを鮮明に覚えている[27]。これが高内の深いところでの「土との出会い」となった[27]

そして郵便局で陶芸家になるための資金作りをしながら益子へ通い始め[10][7]、「江川製陶所」で陶芸の基礎である蹴轆轤の扱い方を、職人たちの見様見真似で習った[22][18]

そして郵便局に勤めてから11年経った[10]1968年[6][7][4][19](昭和43年)[10][6][30][31][9][4]の暮れに[10]、必死の思いで貯めた60万円を手に益子町北郷谷に築窯し[30][31][8][9]、「子どもが100人くらい集まったような騒々しさや賑やかさ、そしてもっと欲深くエネルギッシュに作陶する」という願望を込めて[19]「百童窯」と命名し[19]、益子の住人となった[10][32][9][19]

プレハブで周りを囲んだ小さな窯だった[31]。経済的にもとても苦しかった[31]。しかしそれでも念願の窯を持つことが出来て何でも出来るような気がした[10]。必ずいい物を作る、という意欲で益子での日々を楽しく過ごした[31]

美術学校も出ずに師匠も持たず[33]、独学だった[10][7][23][8][4]。何もないからやりたいことを自由にやった[33]。それでも敢えて言うなら「見る人出会う人、周りの人々が皆、師匠」であり[7][18]、益子の中からでも外からでもどんなことでも吸収し[18]、「益子の枠」にとらわれない作陶活動を続けた[7]

昔から何故か大きな物を作るのが好きで[24]、壺や大皿などの大物作りに[24]誰にも負けないぞ、という意気込みと共に[33]こだわった[7][18]。一つの粘土の塊から一気に豪快に仕上げていく[7]。その一方で轆轤での繊細な細工にもこだわった[7][34]。そして食卓で用いる食器や抹茶茶碗などの小物も手掛ける[18]

また益子焼の伝統釉である黒釉、柿釉、灰釉を用いて、赤絵も手掛けた[22][7][18]。しかし益子焼追求していくと、どうしても「濱田庄司という存在」に突き当たってしまう、と思うようになった[19]。そのうちに「益子焼だけが焼き物じゃない」と考えるようになり[35]、そして若い人が育って欲しい、と願いながらも、益子焼から、そして民藝[要曖昧さ回避]から離れていった[19]

そして自由でありやりたい放題であり、「なんでもあり」と感じた「織部」に傾倒していった[19]志野[19]黄瀬戸や[19]瀬戸黒:引出黒[19]、そして緑色の織部釉である青織部を使い始め、技法も志野焼や瀬戸焼、そして織部焼へと傾倒していった[7][18][19][35][26]

その究極の形が鳥の姿から着想を得た独特の形をした一連の「手桶」作品であり[7][26]、「織部手桶」と呼んでいる[18][9]ダイナミックな織部焼を追求している[36][26][9]

そしてその独特な織部釉作品はいつしか「高内織部」と呼ばれるようになった[9]

家族

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娘に父と同じく益子町で陶芸を中心とした創作活動を行う高内陽彩がいる[37][38][39][40][41][42][43][44][45]

弟子

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 最新現代陶芸作家事典,光芸出版 1987, p. 357.
  2. ^ a b c d 高内秀剛,下野新聞社 1994.
  3. ^ a b c d e 炎芸術,阿部出版 1994, p. 24-27.
  4. ^ a b c d e f g h i j k 角川日本陶磁器大辞典,角川 2011, p. 834.
  5. ^ a b c 益子の陶工,無尽蔵 1980, p. 47.
  6. ^ a b c d e f g 高内秀剛,下野新聞社 1994, p. 50.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t とちぎの陶芸ましこ,下野新聞社 1999, p. 112-113.
  8. ^ a b c d e f g h i j 日本美術家事典 2001年度版 2001, p. 474-475.
  9. ^ a b c d e f g h i j k l 釉薬の裏技,季刊炎芸術 2009, p. 21-26.
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m 陶源境ましこ,下野新聞社 1984, p. 12-13.
  11. ^ a b c 陶源境ましこ,下野新聞社 1984, p. 136.
  12. ^ a b c d e 淡交社,現代の日本陶芸 1989, p. 96.
  13. ^ a b c 益子の陶芸家,近藤京嗣 1989, p. 100.
  14. ^ a b 益子探訪,倉本秀清 1992, p. 60.
  15. ^ a b c とちぎの陶芸ましこ,下野新聞社 1999, p. 221.
  16. ^ 栃木県文化協会 2007, p. 90.
  17. ^ a b c d 陶芸事典,室伏哲郎 1991, p. 614.
  18. ^ a b c d e f g h i 季刊陶磁郎 1999, p. 28-29.
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q やきもの、人、花,花時間,第2版 2012, p. 88-91.
  20. ^ 百童窯 作家・窯元・販売店紹介 益子WEB陶器市 - ウェイバックマシン(2022年12月8日アーカイブ分)
  21. ^ 高内 秀剛 たかうち しゅうごう|益子焼 作家一覧”. Mashiko-DB.net. 2024年2月13日閲覧。
  22. ^ a b c d e f g h 益子の陶工たち,小寺平吉 1980, p. 131-133.
  23. ^ a b c d 陶芸事典,室伏哲郎 1991, p. 284.
  24. ^ a b c ミチカケ 第9号,益子町 2017, p. 43.
  25. ^ 淡交社,現代の日本陶芸 1989, p. 95.
  26. ^ a b c d 『陶説』(489)「東海の陶芸展」「高内秀剛作陶展」84-86 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年2月13日、 国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  27. ^ a b c d e f g h i j 炎芸術,阿部出版 1994, p. 27.
  28. ^ a b 『済生 』(The newsletter of Social Welfare Organization Saiseikai Imperial Gift Foundation, Inc) 1月(763)「表紙のことば」中林忠良 P56 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年2月13日、国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  29. ^ a b c 炎芸術,阿部出版 1994, p. 48-49.
  30. ^ a b 美しい和食器の旅,清水元彦 1996, p. 9-11.
  31. ^ a b c d e 益子探訪,倉本秀清 1992, p. 61.
  32. ^ 『済生 』(The newsletter of Social Welfare Organization Saiseikai Imperial Gift Foundation, Inc) 1月(704)「表紙のことば」中林忠良 P57 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2024年2月13日、 国会図書館デジタルコレクション デジタル化資料個人送信サービスにて閲覧。
  33. ^ a b c 益子探訪,倉本秀清 1992, p. 65.
  34. ^ 益子探訪,倉本秀清 1992, p. 63.
  35. ^ a b 下野新聞」2018年(平成30年)1月6日付 20面「益子の陶芸家高内さん」「織部や志野技法多彩に120点展示」東武宇都宮
  36. ^ 「下野新聞」2022年(令和4年)2月19日「益子陶芸美術館 来月27日まで」「「うつわ」の考察深める」「国内外33人の50点」「近代の巨匠から若手まで」
  37. ^ 高内陽彩 展”. もえぎ本店ブログ (2018年7月15日). 2018年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月17日閲覧。
  38. ^ 髙内陽彩 作家・窯元・販売店紹介 益子WEB陶器市 - ウェイバックマシン(2022年5月16日アーカイブ分)
  39. ^ Hiro Takauchi (@hiirotakauchi) - Instagram
  40. ^ Hiro Takauchi [@hiirotakauchi] (2019年3月30日). "父の個展も開催中です。………". Instagramより2024年2月13日閲覧
  41. ^ Hiro Takauchi [@hiirotakauchi] (2019年8月6日). "父の窯焚き手伝い。本日織部本焼き、……". Instagramより2024年2月13日閲覧
  42. ^ Hiro Takauchi [@hiirotakauchi] (2019年11月10日). "ご案内が遅くなりましたが、父の個展が水曜まで、………高内秀剛 展…". Instagramより2024年2月13日閲覧
  43. ^ Hiro Takauchi [@hiirotakauchi] (2020年10月30日). "今回の益子の陶器市では、父、高内秀剛も出品しますので、…". Instagramより2024年2月13日閲覧
  44. ^ 高内陽彩(ひいろ)作陶展開催中です。…… - Facebook
  45. ^ 陶源境ましこ,下野新聞社 1984, p. 13.
  46. ^ a b 「下野新聞」2001年(平成13年)12月11日付 11面「味わい深い多様な土鍋」「陶芸家3人が合同展」宇都宮市
  47. ^ 饗庭 孝昌 - 陶庫公式ウェブサイト
  48. ^ 2008年(平成20年)9月21日付 27面「落ち着きある器 内側が柿釉も」「益子の岡本さん個展」
  49. ^ 「下野新聞」2010年(平成22年)5月16日付 20面「益子に吹く風 県内の若手陶芸家たち 27」「岡本芳久(おかもとよしひさ)さん」「欲しいもの作りたい」
  50. ^ 高橋みどり (2020_9_22). “栃木県・益子町「岡本芳久さんの柿釉」ただいま、ニッポンのうつわ”. Discover Japan|ディスカバー・ジャパン. 2024年7月10日閲覧。
  51. ^ 「下野新聞」2016年(平成28年)10月13日付 23面「料理に合う多彩な技法で」「川島さん作陶展」
  52. ^ 「下野新聞」2012年(平成24年)2月20日 21面「益子で修行6年西山さん卒業展」「130展、28日まで」
  53. ^ マグ(糠青磁 / 織部)【西山 奈津】”. CRAFT STORE. 2024年2月16日閲覧。
  54. ^ 「下野新聞」2001年(平成13年)11月20日付 15面「壺や花瓶など陶芸作品並ぶ」「益子町の馬場さん個展」
  55. ^ 「下野新聞」2008年(平成20年)11月18日付 16面「均整取れた大壺や皿」「宇都宮で馬場さんが個展」「美的な暮らし提案」
  56. ^ 「下野新聞」2009年(平成21年)7月12日付 20面「古代中国陶磁に挑戦」「宮田さん17日から陶芸展」宇都宮市
  57. ^ 「下野新聞」2009年(平成21年)11月8日付 23面「益子に吹く風 県内の若手陶芸家たち 15」「宮田竜司(みやたりゅうじ)さん」「古典が持つ緊張感目指す」

参考文献

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『ミチカケ』第9号インターネットアーカイヴ

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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