高井吉春
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Yoshiharu TAKAI | |
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基本情報 | |
名前 | 高井 吉春 |
生年月日 | 1951年7月20日(73歳) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
高井 吉春(たかい よしはる、1951年7月20日 - )は日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]1976年の関東オープンでは尾崎将司・村上隆・青木功・小林富士夫・菊地勝司に次ぐ6位[1]に入り、日本プロマッチプレーでは激戦となった2日目の予選最終ラウンドで9人が並んだ通算2オーバーで2人を振り落とすプレーオフ[2]まで残った。
1976年のヤングライオンズでは入江勉・野口茂と並んでの7位タイ[3]、1978年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日を今井昌雪・関水利晃・鈴村照男・草柳良夫・吉川一雄・野口・鈴木規夫と並んでの6位タイグループ[4]でスタートし、最終日には今井と並んでの8位タイ[5]に入った。
1980年には全英オープンに日本予選から出場するが、初日72、2日目77、3日目74の10オーバーで[6]船渡川育宏と共に予選落ち[7]に終わっている。
1982年には日本ゴルフツアー機構(JPGA)のツアー競技に指定されていた長野県オープン[8]で初日に68をマークして首位[9]スタートも中嶋常幸の2位[10]、広島オープンでは川田時志春・中村通・石井秀夫・海老原清治・森憲二と並んでの9位タイ[11]に入り、札幌オープンでは中村俊明・佐藤正一と68で並んで優勝を分け合った[12]。
北海道オープンでは1985年に高橋勝成・高橋完・佐藤・内田袈裟彦・野辺地鼎に次ぐ9位[13]、1987年には10位[14]に入り、1991年の同大会[15]を最後にレギュラーツアーから引退。
主な優勝
[編集]- 1982年 - 札幌オープン
脚注
[編集]- ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】嵐山カントリークラブ。ジャンボ尾崎が72ホール目に放ったとどめのスーパーショット。1976年関東オープン
- ^ 第2回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1976年)
- ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和51年8月20日朝刊16面「中島、逆転優勝飾る ヤングライオンズ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p299 昭和53年4月9日朝刊19面「金井がリード 阿蘇オープン初日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p331 昭和53年4月10日朝刊19面「上野が初栄冠 阿蘇オープン」
- ^ 全英オープン カテゴリ | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 過去の日本人選手の成績|第151回全英オープンゴルフ|テレビ朝日
- ^ ツアー スケジュール 1982 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ 朝日新聞縮刷版p16 昭和57年7月1日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p57 昭和57年7月2日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p1032 昭和57年9月27日朝刊18面「栗原が逆転優勝 羽川2位 広島オープンゴルフ」
- ^ 歴代優勝者(2019年-1975年) - SAPPORO OPEN GOLF official website
- ^ フルリーダーボード 北海道オープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ フルリーダーボード 北海道オープン 1987 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 高井 吉春選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site