飲膳正要
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飲膳正要 | |||||||
繁体字 | 飲膳正要 | ||||||
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簡体字 | 饮膳正要 | ||||||
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『飲膳正要』(いんぜんせいよう)は、中国元代の料理書・養生書・本草書[1]。当時のモンゴル料理や食事療法がイラスト付きで記されている。1330年、忽思慧が元の文宗に献上した[2]。
内容
[編集]本書は現代では料理書として知られるが、本来は王侯貴族のための養生書である[3]。書かれた時代を反映して、モンゴル語・トルコ語・ペルシア語・アラビア語・ウイグル語などの漢訳らしき語が多く含まれる[1][4]。
料理は、滋養に良いとされる羊肉や、タルバガン、チャツァルガナなど、北方の特産品を使った料理が多い[4]。西方料理もある[5]。南方の中華料理は少ない[6]。記述が簡潔なため、料理を再現するのは難しい[7]。
医学面では、当時最先端だった金元医学は反映されておらず、旧来の説に従う部分が多い[8]。
イラストは各巻にあるが[9]、料理の図解よりも食事風景を主に描いている。画中には当時栄えた磁州窯の器も見える[10]。
目次
[編集]全3巻24篇。
成立
[編集]元代の天暦3年(1330年)3月、忽思慧が文宗トク・テムルに献上した[2]。忽思慧は、延祐年間(1314年 - 1320年)から「飲膳太医」を務めていた[2]。「飲膳太医」とは、世祖クビライが設置した元代特有の官職(定員4名)であり[2]、宮廷の料理人兼医師[4](太医)にあたる。
本書の編纂には、忽思慧だけでなく、趙国公の常普蘭奚も参加し、大司農の張金界奴が校正にあたり[11]、虞集が序を寄せている[1]。
伝来
[編集]本書は20世紀になるまで周知されていなかった[2]。元代には公刊されず、秘府に蔵されていた[1]。明代の景泰7年(1456年)、代宗景泰帝の命により覆刻・公刊された[2]。この景泰本は日本にも伝わり、幕末の森立之らに言及された[2]。20世紀、『四部叢刊続編』が日本の静嘉堂文庫所蔵の景泰本の影印を収録したことで、周知されるようになった[2]。なお、景泰本と別系統の明刊本・鈔本や、残巻のみの元刊本も現存する[12]。
日本語訳
[編集]- 忽思慧 著、金世琳;越智猛夫 訳『薬膳の原典 飲膳正要』八坂書房、1993年。ISBN 978-4896946239。(全イラストも収録)
参考文献
[編集]- 加藤伊都子「『飲膳正要』に関する考察―聚珍異饌を中心として―」『日本医史学雑誌』第37巻、第2号、日本医史学会、1991年 。
- 金世琳「訳者前書き」『薬膳の原典 飲膳正要』八坂書房、1993年。ISBN 978-4896946239。
- 小長谷有紀『世界の食文化3 モンゴル』農山漁村文化協会、2005年。ISBN 9784540060021。
- 小林宏光『中国版画史論』勉誠出版、2017年。ISBN 978-4-585-27039-3。
- 篠田統「飲膳正要について」『中国食経叢書 中国古今食物料理資料集成』書籍文物流通会、1972年。 NCID BN0270516X 。NDLJP:12205691/310
- 宮紀子「附属図書館の珍本 公開展示『学びの世界』の選書から」『静脩』第39巻、第3号、京都大学附属図書館、2002年 。
- 宮紀子『モンゴル時代の「知」の東西 上巻』名古屋大学出版会、2018年。ISBN 978-4-8158-0900-3。
関連文献
[編集]- ソロングト・バ・ジグムド 著、ジュルンガ;竹中良二;丸山博 訳『モンゴル医学史』農山漁村文化協会、1991年。ISBN 4-540-91074-4。
- 遠藤雅司「フビライとの宴 馬乞(マーチ)」『歴メシ! 決定版――歴史料理をおいしく食べる』晶文社、2022年。ISBN 978-4794973429。
- 中村喬「『飲膳正要』 養生薬膳の書」『月刊しにか』第7巻、第12号、大修館書店、1996年。 NAID 40004854886。