隠亡
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隠亡(おんぼう)は、日本史上において、火葬場で死者の遺体を荼毘に付し、墓地を守ることを業とした者を指す語。「隠坊」「御坊」「煙亡」とも表記し、地域により「オンボ」と呼ぶこともある[1]。「薗坊」とも[2]。もとは、下級僧侶の役目であり[3]、「御坊」が転じたものと考えられている[3]。
江戸時代には賤民身分扱いされていたことや[1]、一昔前まで、この職業は現在で言う被差別部落出身者が大半だったため[要出典]、軽蔑的な意味合いを帯びたことも多く、現在は差別用語とされて用いられなくなっている。代替語として一般には、「斎場職員」もしくは「火夫」(かふ)が使用されている。
歴史
[編集]隠亡は、中世から江戸時代までは、穢多や非人とはまた異なった賤民階級として扱われ[1]、寺院や神社において、周辺部の清掃や墓地の管理、特に持ち込まれた死体の処理などに従事する下男とされていた。
本居内遠の『賤者考』には、「房(坊)は法師、煙法師と書くべきであり、下火は僧のすべきことで、古くは皆、徳行ある法師に付せしことなり」と記されている。過去には、現在の三重県中西部にあたる伊賀地方では隠坊を「土師」と書き「ハチ」と称していた。また岡山県西部にあたる備中地方では、隠亡は死者の取り扱いと非人番などを担当していた。彼らは正月には村内へ茶筅を配り歩くため「茶筅」とも呼ばれ、竹細工のほか渡し守をしているものもあった。水呑百姓より下位の階級に置かれ、賤民とともに差別されて一般農民との婚姻も禁止されていた。関東地方の番太と同様、村内の見張番なども担当していた[3]。
隠亡を題材にした作品
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c webrio辞書「隠亡の意味・解説 」
- ^ 非人番と薗坊の「宗門帳」大阪の部落史通信12号、大阪の部落史委員会、1997年12月、p6
- ^ a b c コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「人生最期の儀礼 郷土史家 佐々木 一」 - 菰野町公式サイト