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阪急1300系電車 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪急1300系電車
冷改前の1307(1975.8.29十三にて)
基本情報
運用者 阪急電鉄
製造所 ナニワ工機
製造年 1957年 - 1961年
製造数 16両
廃車 1987年
投入先 京都線
主要諸元
軌間 1,435 mm
全長 19,000 mm
台車 FS-311
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 4.59
制動装置 HSC-D
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阪急1300系電車(はんきゅう1300けいでんしゃ)は、1957年に京阪神急行電鉄京都線用に導入した電車である。神宝線用の1010系・1100系に相当する京都線初の高性能電車となった[1]

概要

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1957年から1961年にかけて16両がナニワ工機で製造された。神宝線の1200系の後を追う形で1300系となり[2]、形式の100番台の数字で「0」は神戸線、「1」は宝塚線、「3」は京都線とする体系が確立した[1]

制御電動車(Mc)の1300形1301 - 1308と付随車(T)の1350形1351 - 1358の2形式で構成される。車番は京都線車両の慣例から1より始まる。2両単位で機器を集約分散搭載する1C8M制御方式を阪急で初採用しており、奇数車が制御器とパンタグラフを搭載するMc、偶数車が電動発電機と空気圧縮機を搭載するM'cとなっている。

また、1350形は増結時に順次挿入されたため、当初は編成単位での車番が不統一になっており、このため1357以外については後年に改番の上で整理されている。

車体

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車体は1010・1100系と同様の2扉車であるが、第1編成である1301-1351-1302の3両は、既存の710系に準じて1000系シリーズ唯一の固定クロスシート車として製造された[3]。第2編成以降は全車ともロングシート車となった。

また、編成として最後に新造された1959年竣工の1307-1354-1308は、当初より3扉車として製造されたが、これらより後に既存編成向けに追加製造された1355・1356・1358の3両については組み込み先各編成の仕様に合わせて2扉車として製造されている。

2扉車の3扉化は、1970年から1973年にかけて施工されている[4]

主要機器

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電装品は新京阪以来の京都線の伝統に従い、東洋電機製造の製品が採用されている。

主電動機はTDK-811-A(100kW)、駆動システムは中空軸平行カルダンが採用された。歯数比は1305以降、2M2Tでの牽引力を確保するため、4.59から6.31(82:13)と高く変更されている[3]。制御器はMM'ユニット方式による1C8M制御が阪急で最初に採用され、電動カム軸式多段制御器の東洋電機製造ES-563A・B(ES-536Bの採用は1305以降)が奇数車に搭載された。

台車は1957年製造車は住友FS-311であった。1959年の増備車は1305-1353-1306と1352が住友金属FS-325を装着したほか、1307-1354-1308が汽車製造製軸箱梁式空気ばね台車(エコノミカルトラック)のKS-62A・62を試用した[3]

ブレーキは阪急初の発電制動付のHSC-D電磁直通ブレーキが採用された[3]

製造

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編成は当初、1301Fがクロスシートの3両編成、1303Fがロングシートの2両編成とされた。

← 大阪
京都 →
竣工
Mc T M'c
1301 1351 1302 1957年12月[1]
Mc M'c
1303 1304 1957年11月[1]

1959年には付随車の1350形が増備され、1303Fの2連に組み込み、1303-1352-1304の3両編成となった。

← 大阪
竣工
T
1352 1959年1月[3]

1305F・1307Fはいずれも当初より3両編成として竣工している。1307Fは京都線初の3扉車である[3]

← 大阪
京都 →
竣工
Mc T M'c
1305 1353 1306 1959年11月[3]
1307 1354 1308 1959年12月[3]

1960・1961年には、1350形をもう1両ずつ組み込み4両編成となった[5]。1357は3扉車で、1301Fに組み込みの1358を含めロングシートである[5]

← 大阪
竣工
T
1355 1960年12月[5]
1356
1357 1961年10月[5]
1358

編成表

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基本編成

← 大阪
京都 →
Mc T T M'c
1301 1351 1352 1302
1303 1353 1354 1304
1305 1355 1356 1306
1307 1357 1358 1308

1981年

← 大阪
京都 →
Mc T T M'c Mc T M'c
1303 1354 1353 1304 1301 1352 1302
1307 1358 1357 1308 1305 1356 1306

変遷

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改番

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各編成ともMc-T-T-M'cの4両編成となったが、1350形の番号を編成内で揃えるため、以下の通り改番が実施された[5]

  • 1358→1351
  • 1351→1352
  • 1355→1353
  • 1352→1354
  • 1356→1355
  • 1353→1356
  • 1354→1358

冷房化改造

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冷改後の1307(1976.8.1梅田にて撮影)

千里線の冷房化促進のため、1975年に1000系列で初の冷房化改造が実施された[6]

冷房装置は、冷凍能力10,500kcal/hの東芝RPU-3003を各車に3基搭載する集約分散方式である[6]。冷房制御機器は、奇数電動車に搭載スペースが無く、隣接する付随車に設置された[6]。1351・1355の2両が宝塚線に転出していたため、4両ユニットは付随車の奇偶を入れ替え、偶数車に設置している[6]。改造は翌1976年までに実施された。

運用

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710系と共に特急急行などに運用されたが、2300系の登場により優等列車の運用機会が減少した。1963年河原町延伸による特急の増発では1300系もロングシート車・3扉車編成を含めて特急運用に充当されたが、翌1964年の特急車2800系の就役開始に伴い、1966年に1301Fはロングシート化されて特急運用から完全に撤退した。

その後も本線各駅停車運用を中心に使用されていたが、千里線の輸送力増強の為、1971年に7両編成2本に編成替えされ、千里線専用となった[5]。この時余剰となった付随車2両(1351・1355)は宝塚線へ移籍し、1200系に編入された[6]。また同時期に全車が3扉化されている[5]

1983年に4両編成3本に組成変更され、嵐山線で運用された[6]。この際余剰となった1307・1308は休車となったが、復帰することはなかった。

1984年、宝塚線に転出していた1351・1355の2両が廃車、1986年の1307・1308の廃車に続き、残る3編成12両も1987年までに廃車となった[6]

脚注

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  1. ^ a b c d 山口益生『阪急電車』117頁。
  2. ^ 篠原丞「初代1000系シリーズの軌跡」『鉄道ファン』2014年2月号、120頁。
  3. ^ a b c d e f g h 山口益生『阪急電車』118頁。
  4. ^ 篠原丞「初代1000系シリーズの軌跡」『鉄道ファン』2014年2月号、124頁。
  5. ^ a b c d e f g 山口益生『阪急電車』119頁。
  6. ^ a b c d e f g 山口益生『阪急電車』120頁。

参考文献

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  • 山口益生『阪急電車』JTBパブリッシング、2012年。
  • 飯島巌『復刻版・私鉄の車両5 阪急電鉄』ネコ・パブリッシング、2002年。
  • 篠原丞「阪急高性能車黎明期を飾る 初代1000系シリーズの軌跡」、『鉄道ファン』2014年2月号、交友社。114-125頁。