関義長
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関 義長(せき よしなが、1892年(明治25年)6月20日 - 1970年(昭和45年)7月12日)は、日本の技術者、実業家。三菱電機会長を務めた。
人物・経歴
[編集]徳島県知事、山形県知事等を務めた関義臣男爵の次男(庶子)として生まれる[1]。貴族院議員関義寿男爵は異母兄[1]。
- 1915年 - 東京帝国大学電気工学科卒業、三菱合資入社。
- 1931年 - 三菱電機神戸製作所工作課長主任。
- 1936年 - 三菱電機神戸製作所副所長。1941年三菱電機伊丹製作所所長。
- 1943年 - 三菱電機取締役。
- 1945年 - 三菱電機常務取締役。1949年三菱電機副社長。
- 1956年 - 三菱電機社長。
- 1958年 - 三菱原子力工業社長。
- 1964年 - 三菱電機会長。
- 1968年 - 三菱電機相談役[2][3]。
脚注
[編集]- ^ a b 関義臣『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 「関義長(読み)せき よしなが」デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
- ^ 「関 義長(読み)セキ ヨシナガ」20世紀日本人名事典の解説
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