門静
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門静 | |
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町名 | |
![]() 地区内を通る根室本線(花咲線)の普通列車 | |
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座標位置:門静駅付近 | |
都道府県 |
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郡 | 厚岸郡 |
市町村 | 厚岸町 |
人口情報(2023年12月31日) | |
人口 | 415 人 |
世帯数 | 190 世帯 |
郵便番号 |
088-0874(4丁目の一部) 088-1126(その他) |
市外局番 | 0153 |
ナンバープレート | 釧路 |
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門静(もんしず)は、北海道厚岸郡厚岸町にある町名。1丁目から4丁目で構成される。郵便番号は4丁目55から114番地が088-0874[1]、その他が088-1126[2]。
地理
[編集]厚岸町西部にの厚岸湾沿いに位置し、白浜、太田宏陽、尾幌、苫多に隣接する。地区内を国道44号と根室本線が横断している。概ね漁村であるが、現在の1丁目には1970年頃に宅地が造成されている。
河川
[編集]歴史
[編集]大正、昭和にかけては拾い鰊で生計が立てられるほどの漁村であった[3]。当時は真龍村から門静にかけて、砂利浜の海岸であったがバラサン岬の石と共に釧路の築港工事によって採取され、消失している[4]。また、採石場も存在し、この採石場より採れた石は良質多量であったことから釧路港の他、鉄道敷設や飛行場建設にも使われた[5][6]が、その一方でタコ部屋労働や朝鮮人、中国人連行者の強制労働などが行われていた[6]。
地名の由来
[編集]「湾の傍」を意味するアイヌ語の「モイシュツ」[7]や「湾の根元」を意味する「モイスッ」に由来する[8]とされる。
沿革
[編集]- 1900年(明治33年) 7月1日 - 厚岸町が一級町村制を施行し、厚岸町の一部となる。
- 2004年(平成16年)11月15日 - 厚岸町字名改正事業に伴って、大字真龍町字門静の全域と大字真龍町字白浜町、大字真龍町(字なし)、大字太田村(字なし)、大字苫多村字苫多のそれぞれ一部をもって門静1丁目から4丁目が成立する[9][10]。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)3月31日現在の世帯数と人口は以下のとおりである[11]。
地区名 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
門静 | 190世帯 | 415人 |
小・中学校の学区
[編集]町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。
小学校 | 中学校 | |
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全域 | 厚岸町立真龍小学校 | 厚岸町立真龍中学校 |
交通
[編集]施設
[編集]- あっけし望洋台
- 厚岸浄水場
- 門静簡易郵便局
脚注
[編集]- ^ “北海道 厚岸郡厚岸町 門静(4丁目55~114番地)の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2025年2月24日閲覧。
- ^ “北海道 厚岸郡厚岸町 門静(その他)の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2025年2月24日閲覧。
- ^ 『北海道地名誌』北海教育評論社、1975年8月、672頁。doi:10.11501/12191711。
- ^ 大谷乾一郎『厚岸の史実』厚岸町、1968年4月。doi:10.11501/3453350。
- ^ “釧路市付近と釧路から根室へ”. 地質ニュース (203): 31. (1971-07). doi:10.11501/3238426.
- ^ a b 小池喜孝『常紋トンネル : 北辺に斃れたタコ労働者の碑』朝日新聞社、1977年6月、69-72頁。doi:10.11501/12193404。
- ^ 更科源蔵『アイヌ語地名解 : 北海道地名の起源』北書房、1966年、289頁。doi:10.11501/2985550。
- ^ 『アイヌ語地名と原日本人 : 先住者の心をたずねて』現代史出版会、1983年10月、240頁。doi:10.11501/9490867。
- ^ “改正地区区域図一覧 | 厚岸町字名改正事業 | まちづくり | 政策・計画・事業 | 行政情報”. 北海道厚岸町. 2025年2月21日閲覧。
- ^ “新区域及び新名称全体図[H16.11.15改正]”. 厚岸町. 2025年2月24日閲覧。
- ^ “令和5年度版 厚岸町統計書”. 厚岸町. 2025年2月20日閲覧。
- ^ “小学校、中学校と通学区域 » 厚岸町教育委員会”. edu.town.akkeshi.hokkaido.jp. 2025年2月19日閲覧。