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長岡治男

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長岡 治男(ながおか はるお、1893年1月25日 - 1976年5月22日)は、日本の経営者東京都出身[1]

経歴

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1918年東京帝国大学法学部独法学科を卒業[1]三井不動産を経て、1945年に日本合板船専務に就任し、後に社長も務めた[1]1958年10月から1966年6月までに理化学研究所理事長を務めた[1]

1970年11月に勲三等旭日中綬章を受章[1]

1976年5月22日心不全脳血栓のために死去[2]。83歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1975, な226頁.
  2. ^ 1976年 5月24日 読売新聞 夕刊 p9

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。