鋤田誠二
鋤田誠二 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県 |
生年月日 | 1965年1月18日(59歳) |
血液型 | A型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 福山市競馬事務局 |
所属厩舎 |
鋤田久(福山) →江口秀博(福山) →檜山博史(福山) |
勝負服 | 黄、黒菱山形一文字 |
初免許年 | 1982年 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 2009年5月31日 |
重賞勝利 | 34勝 |
通算勝利 | 15690戦2191勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 2009年6月1日 |
経歴 | |
所属 |
福山市競馬事務局(2009年 - 2013年) 石川県競馬事業局(2013年 - ) |
鋤田 誠二(すきた せいじ、1965年1月18日 - )は、地方競馬の金沢競馬場所属の調教師、元騎手(騎手時代及び厩舎開業時は福山競馬場所属)である。山口県出身、血液型A型。
騎手時代の勝負服の柄は黄、黒菱山形一文字。福山競馬場の元調教師・元騎手の鋤田久は実父で、中津競馬場の元調教師・元騎手の鋤田嵩は叔父。
経歴
[編集]騎手時代
[編集]1982年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、鋤田久厩舎からデビュー。同年5月1日福山競馬第2競走でマロツトパールに初騎乗(9着)。同年5月29日福山競馬第1競走でオークライトに騎乗し初勝利。
1986年、1988年、1989年、1990年、1991年、1998年に福山競馬リーディングを獲得。
1990年、1991年、1993年、2002年にNARグランプリ優秀騎手賞を受賞。
1999年、地方競馬通算1500勝達成。
2005年10月16日第10回福山競馬2日目第9競走伊藤学サヨナラ記念でナイスバンチ(9頭立て3番人気)に騎乗し地方競馬通算2000勝達成。地方競馬では史上61人目。福山競馬場の生え抜き騎手では初の2000勝達成騎手。
2007年1月、鋤田久調教師死去に伴い江口秀博厩舎に所属変更。その後檜山博史厩舎に所属変更した。
同年2月14日第22回園田競馬3日目に実施された第15回ゴールデンジョッキーカップに出場。同日第7競走ファイティングジョッキー賞をレッドインパルスで逃げ切り優勝した(12頭立て5番人気)。続く2競走では下位にとどまり、総合成績は5位[1][2]。
同年3月17日第19回福山競馬1日目第1競走アラ系C212組条件戦をタケゼンで優勝(8頭立て4番人気)し、14727戦目で地方競馬通算2100勝達成[3]。
調教師転身のため、2009年5月31日付けで騎手引退[4]。
地方通算成績は15690戦2191勝・2着2028回・3着1914回・勝率14.0%・連対率26.9%。
主な騎乗馬
[編集]- ギバイスター(1983年クイーンカップ)
- リキハイ(1985年金杯、1986年福山大賞典)
- テンマリユセイ(1988年福山桜花賞)
- ニホンクロス(1988年ヤングチャンピオン)
- ダイセイカン(1990年福山大賞典、福山マイラーズカップ)
- グリンダイオー(1990年鞆の浦賞、1991年・1992年福山大賞典)
- ハイセンプー(1991年鞆の浦賞)
- リバーハンガン(1991年福山4歳牝馬特別)
- ラビットジョージ(1991年ヤングチャンピオン)
- イナリセンプー(1992年福山ダービー)
- イエローホーマー(1992年ヤングチャンピオン、1993年キングカップ、1994年福山菊花賞)
- ダギロ(1996年福山ダービー)
- グレートマルゼン(1996年金杯)
- ノアオーカン(1996年ヤングチャンピオン、1997年銀杯)
- ミナミアロー(1997年新春賞)
- ジョージバロン(1998年ヤングチャンピオン、1999年キングカップ)
- ダイニアキフジ(2002年キングカップ)
- ホマレエリート(2002年ローゼンホーマ記念、2003年福山マイラーズカップ)
- メガビソウ(2003年新春賞)
- タッカーワシュウ(2004年福山ダービー)
- クロマルジョージ(2005年銀杯)
- シルクニューヒット(2007年サラ系キングカップ)
- モモカプリンセス(2007年サラ系クイーンカップ、鞆の浦賞、福山3歳牝馬特別)
調教師時代
[編集]2009年5月22日、平成21年度第1回調教師免許試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得[5][6]。同年7月に厩舎開業。
福山競馬場の廃止に伴い、2013年4月1日付けで金沢競馬場へ移籍した。
地方通算成績は4295戦407勝・2着420回・3着493回・勝率9.5%・連対率19.3%(2021年6月27日時点)。
主な管理馬
[編集]人物・エピソード
[編集]晩年は怪我などで存分に活躍はできなかったが、デビュー当初から持ち前の豪腕で名を知らしめ、1985年12月10日に大井競馬場で行われた第31回全日本アラブ大賞典に遠征、道中福山とは違う広いコースで早仕掛けをするも、その豪腕で騎乗したバビロンニセイを5着に粘らせた。
また、自厩舎で多くのレースを勝ち、父である鋤田久との親子鷹で、同年の双方のリーディングを獲得した事が3度ある。さらに他厩舎の勝てない馬に乗り変わると、「馬を壊す覚悟の大勝負」とファンから捉えられるほどの道中で、旧福山コースのきつい4コーナー(2005年にサラブレッド導入に伴い改修)でスピードを緩めずインをハングオンの様に乗る事で、外に膨れずに最短コースを全速で走らせるという荒業を見せていた。
脚注
[編集]- ^ 第15回 ゴールデンジョッキーカップ (2007年2月14日開催) - おうまのアイコン wire-to-wire 〜競馬のドット絵・無料HP素材専門サイト〜
- ^ ゴールデンJC、愛知の吉田稔騎手が優勝 - netkeiba.com
- ^ 福山の鋤田誠二騎手が通算2100勝達成 - netkeiba.com
- ^ 鋤田誠二騎手の引退並びに調教師としての出発セレモニーについて - ウェイバックマシン(2009年12月2日アーカイブ分)
- ^ 平成21年度第1回免許試験新規合格者発表 - 地方競馬情報サイト
- ^ 福山の鋤田誠二騎手が調教師試験に合格 - netkeiba.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 騎手登録情報 - 地方競馬情報サイト
- 騎手詳細データ - nankankeiba.com
- 調教師成績 - 地方競馬情報サイト
- 調教師詳細データ - nankankeiba.com
- 〜 福山けいばの名手 〜 鋤田誠二騎手応援ページ 「SukiSukiSukita!!」 - ファンページ