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鈴木択郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 択郎
人物情報
生誕 (1898-07-06) 1898年7月6日
日本の旗 日本栃木県
死没 1981年1月6日(1981-01-06)
出身校 東亜同文書院商務科
学問
研究分野 中国語中国文学
研究機関 東亜同文書院大学愛知大学
学位 商学士
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鈴木 択郎(すずき たくろう、1898年7月6日-1981年1月6日 )は、日本中国研究者愛知大学名誉教授。

経歴

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1898年7月6日栃木県に生まれる。1915年9月、上海東亜同文書院商務科入学(第15期生)、1918年6月同卒業、江商入社。1920年9月、東亜同文書院助教授1921年9月、東亜同文書院派遣北京留学(1923年4月まで)。1924年5月、東亜同文書院教授1939年4月、東亜同文書院大学予科教授。1946年12月、愛知大学旧制予科教授。1949年4月、愛知大学(新制文学部教授。門下生には今泉潤太郎(愛知大学名誉教授)がいる。1955年4月、中日大辞典編纂委員長(1968年4月まで)。1969年中日文化賞受賞。1975年3月31日、愛知大学依願退職。同年4月1日、愛知大学名誉教授、中日大辞典編集主任。1977年11月、勲三等瑞宝章

業績

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東亜同文書院では同院独自の中国語教科書『華語萃編』シリーズの改訂や中国語教育研究雑誌『華語月刊』発行、『華日辞典』編纂事業などの中国語教育、研究活動に従事した。1945年の日本敗戦によって東亜同文書院大学が廃校となると、同学元学長本間喜一の愛知大学設立に参加して同校の教授となり、さらに同校の『中日大辞典』編纂に尽力した。

著作

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単著

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  • 『標準支那語教本』初級編、東亜同文書院支那研究部、1934年。
  • 『標準支那語教本』高級編、東亜同文書院支那研究部、1934年。

編著・共著

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  • 『現代支那講座』第6講、東亜同文書院支那研究部、1939年。
  • 愛知大学国際問題研究所編『中華人民共和国の国家体制と基本動向 : 共同綱領の研究』勁草書房、1954年。
  • 中日大辞典編纂処編『中日大辞典』初版、中日大辞典刊行会、1968年。

翻訳

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  • 張謇『張謇自訂年譜』内山書店、1942年。
  • 老舎『四世同堂』第一部(上下)、第二部(上下)、 第三部、月曜書房、1953年。

参考文献

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愛知大学五十年史編纂委員会編『大陸に生きて』風媒社、1998年3月、ISBN 4-8331-0514-4