金原賢之助
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38歳の金原賢之助 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1897年11月30日 日本 静岡県浜松市 |
死没 |
1959年1月18日(61歳没) 日本 東京都 |
出身校 |
慶應義塾大学 学士 (1921) 慶應義塾大学 博士 (1937) |
学問 | |
研究分野 |
財政学 国際金融論 |
研究機関 | 慶應義塾大学 |
指導教員 | 高橋誠一郎 |
博士課程指導学生 |
千種義人 村井俊雄 |
称号 | 慶應義塾大学教授 |
影響を受けた人物 | 小泉信三 |
影響を与えた人物 |
園乾治 町田義一郎 高木寿一 |
金原 賢之助(きんばら けんのすけ、1897年11月30日 - 1959年1月18日)[1][2]は、日本の経済学者。慶應義塾大学教授。
経歴
[編集]1897年に静岡県浜松市に生まれる[1]。1916年に浜松商業学校を卒業後、慶應義塾大学部理財科に入学し、高橋誠一郎のゼミナールで学ぶ[2]。1921年に同大学を卒業し、助手となる[1]。1923年に慶應義塾大学予科教員となり、1925年から1928年まで欧米(イギリス、ドイツ、フランス、オーストリア、アメリカ)に留学する[1]。1928年に慶應義塾大学経済学部助教授、1929年に教授となる[1]。1937年に「世界経済の動向と金本位制度」の題目の論文で博士号を取得する[3]。1946年に経済学部長となり、1957年に商学部設置に伴い商学部長・商学部教授となる[1]。商学部長在任中の1959年に舌癌で逝去した[2]。金融、財政、為替が専門。
著書
[編集]- 『国際金融総論(世界経済問題叢書)』(同文館、1931年)
- 『外国為替・金・銀(基礎経済学全集)』(東洋出版社、1934年)
- 『世界経済の動向と金本位制度』(巌松堂書店、1934年)
- 『貨幣ブロックに関する諸問題(銀行叢書)』(東京銀行集会所、1935年)
- 『世界貨幣制度上の若干問題(現代金融経済全集)』(改造社、1935年)
- 『金・貨幣の若干問題』(巌松堂、1936年)
- 『銀行実務法規解説(銀行実務講座)』(非凡閣、1936年)
- 『金融論講義案 第1冊』(金文堂、1937年)
- 『欧洲経済の危機(日本青年外交協会)』(戦時文化叢書、1938年)
- 『金融の常識』(千倉書房、1938年)
- 『日本戦時経済政策』(千倉書房、1938年)
- 『日本戦時物価政策論』(千倉書房、1939年)
- 『為替理論概説(最近経済問題叢書)』(甲文堂書店、1940年)
- 『戦時世界経済の物価・通貨・為替』(千倉書房、1940年)
- 『国際金融及び外国為替(慶応義塾大学講座経済学)』(慶応出版社、1942年)
- 『外国為替の基礎理論及び問題 外国為替論 第1部』(泉文堂、1952年)
共編著
[編集]- 『戦争と財政金融』(時潮社、1937年)
- 『国防経済論』(日本評論社、1938年)
- (浜田恒一)『金融統制と貿易政策(戦時・準戦時経済講座)』(改造社、1938年)
- 『経済学研究五講』(泉文堂、1949年)
翻訳
[編集]- (エドウアルド・ベルンシユタイン)『マルクシズム批判』(岩波書店、1926年)
- (フーゴー・ミュラア)『為替相場と物価』(同文館、1931年)
- (アーヴィング・フィッシャー)『アメリカ株式恐慌と其後の発展』(小高泰雄共訳、同文館、1932年)
- (S・E・トーマス)『産業金融論』(門脇良教共訳、同文館、1935年)
- (アーヴィング・フイッシャー)『貨幣の購買力』(高城仙次郎共訳、改造社、1936年)
- (グスタフ・カッセル)『金本位制度の没落』(金融研究会、1938年)
出典
[編集]- ^ a b c d e f 慶應義塾経済学会 (1959).「故金原賢之助博士略歴」『三田学会雑誌』52巻3号: 277頁。
- ^ a b c Bibliographic Database of Keio Economists 金原 賢之助 2022年2月18日閲覧。
- ^ CiNii Articles 金原賢之助