野庭関城
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野庭関城 (神奈川県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 和田義盛? |
築城年 | 13世紀初頭? |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 不明 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | ほぼ消失 |
指定文化財 | 未指定 |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 市:港南区№67[1] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度23分23.9秒 東経139度34分13.9秒 / 北緯35.389972度 東経139.570528度座標: 北緯35度23分23.9秒 東経139度34分13.9秒 / 北緯35.389972度 東経139.570528度 |
地図 |
野庭関城(のばのせきじょう/のばのせきしろ)は、神奈川県横浜市港南区野庭町にあったと伝わる日本の城。
概要
[編集]平戸永谷川上流の丘陵地帯にあり、現在の野庭団地内に位置する「野庭中央公園」北側付近が本曲輪であったとされている[1][2][3]。1980年(昭和55年)の『日本城郭大系』(第6巻 千葉・神奈川)発行時点では、土塁が遺存していたとの記載がある[2]。
築城者は鎌倉幕府初代侍所別当の和田義盛とする伝承があり、1213年(建暦3年)の和田合戦の際には、和田義盛に与する人々が泉親衡と共に立て籠ったと伝わる[4]。
脚注
[編集]- ^ a b 「横浜市行政地図情報提供システム」横浜市公式HP
- ^ a b 平井ほか 1980 p.313
- ^ 「野庭の「関城」と周辺 上大岡・野庭」横浜市公式HP
- ^ 港南の歴史研究会 1986 p.70
参考文献
[編集]- 平井聖ほか 1980「野庭関城」『日本城郭大系第6巻 千葉・神奈川』p.313 新人物往来社(児玉幸多・坪井清足監修)
- 港南の歴史研究会 1986「4・野庭の関城跡」『こうなん道ばたの風土記』p.70 港南の歴史研究会
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「野庭の「関城」と周辺 上大岡・野庭」『ふるさと港南』横浜市公式HP