コンテンツにスキップ

坪井清足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坪井 清足(つぼい きよたり、1921年11月26日 - 2016年5月7日[1])は、日本の考古学者。元奈良国立文化財研究所所長、元元興寺文化財研究所所長。勲三等旭日中綬章文化功労者大阪府出身。

来歴

[編集]

1934年4月、大阪大倉商業学校(現:関西大倉中学校・高等学校)に入学。この頃、梵鐘研究家であった父や小林行雄藤森栄一について各地の遺跡巡りをする。

1941年京都帝国大学文学部に入学し、1943年に召集。1946年3月に復員。復学し、1949年に京都大学大学院に進学。

1950年から平安中学校・高等学校に勤務し、1955年に奈良国立文化財研究所に入所[1]

1977年からは奈良国立文化財研究所長となり[1]、1986年に奈良国立文化財研究所長を退官[1]

1986年から2000年まで財団法人大阪文化財センター理事長[1]、また2000年から、財団法人元興寺文化財研究所副理事長を務め、同所所長・理事長を務めていた。

2016年5月7日、急性心不全により死去。94歳没[1]

受賞・叙勲歴

[編集]

著書

[編集]

関連図書

[編集]
  • 『論苑考古学』(坪井清足さんの古稀を祝う会編)天山舎、1993年。
  • 『喜寿記念 坪井清足著作目録』坪井清足喜寿祝賀会事務局、1998年。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g “坪井清足さん94歳=考古学の第一人者”. 毎日新聞. (2016年5月9日2時30分). https://mainichi.jp/articles/20160509/k00/00m/040/103000c 2016年5月9日閲覧。 
  2. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月20日閲覧。