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酔いどれない競馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

酔いどれない競馬』(よいどれないけいば)は、フジテレビ7391999年4月から2008年1月28日まで放送されていた、競馬に関するテレビ番組

概要

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毎回競馬についての出演者のトークを中心に、前回の放送後に行われた重賞競走の回顧、開催が迫ったGI競走の展望、ゲストや競走馬に関連した過去のレース映像の放映、各局の競馬番組出演者との番組裏話、競馬界で問題になっていることなど、様々なテーマで放送。フジテレビが中継している中央競馬だけでなく、地方競馬や日本国外で行われている競馬も多く扱われた。また、番組の途中には視聴者からのFAXを紹介しており、そこからトークが発展したり、出演者が放送中に疑問に思ったこと(例えば昔のレースの勝ち馬など)を視聴者に聞くと、視聴者が即座にFAXを送って解決するといった活用もされていた。

放送形態は基本的に月1回、月末の月曜日の21:00 - 23:00の枠で生放送され、翌日以降に1回から2回再放送されていた。一時期火曜日に放送されていたこともあった。

番組の歴史

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「酔いどれ競馬」としてスタート

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フジテレビ739が開局した1999年4月に、毎回プロ野球バレーボールゴルフなど様々なスポーツを特集する情報番組『CX Sports 739』の「酔いどれ競馬スペシャル」としてスタート。現在と同じく、ほぼ毎月1回のペースで放送していた。

番組名のとおり出演者がを飲み、酔いどれながら生放送するという形態だった。そのため、競馬の話から脱線することがしばしばあり、競馬番組でありながら放送開始から30分以上競馬の話をしないということもめずらしくなかったが、このような形態を多くのファンは支持していた。また、視聴者から地酒や酒のなどの差し入れが送られてくることもよくあった。

「酔いどれ競馬」としては、放送開始から2001年3月26日まで24回放送された。

「酔いどれない競馬」へ番組名変更

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『CX Sports 739』が2001年3月で終了するとともに単独の番組として独立。しかし、回を重ねるごとに出演者の酔いどれぶりがあまりにもエスカレートしたせいか、独立第1回の5月1日から放送中に酒を飲むことが禁止となり、タイトルも「酔いどれない競馬」に変更された。その第1回の放送で、視聴者からの復活希望FAXが100通を越えたら「酔いどれ」を復活させようと出演者が呼びかけたところ100通を越えるFAXが送られてきた。しかし、フジテレビCS事業部の方針は変わることは無かった。番組名変更から年月がたっても、「酔いどれ」復活を希望するファンは多かった。

出演者

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レギュラー

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第1回の『酔いどれ競馬』から、この番組の象徴的存在の井崎脩五郎がレギュラーとして出演していたが、2005年4月25日の放送の後から長らく出演していなかった。2007年1月29日の放送で1年9ヶ月ぶりに出演したが、出演していなかった理由については特に発表されていない。

フジテレビアナウンサー

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番組開始当初は三宅正治が司会を担当することが多かったが、三宅がプロ野球ニュース2000の司会を担当することになったため、2000年3月27日の放送で「卒業」となった[1]。その後2004年頃までは、ほとんどの放送で吉田伸男が司会を務めていたが、2006年秋からはフジテレビの競馬担当アナウンサーが月替わりで担当していた。また、青嶋達也は番組内では「Aアナ」と呼ばれ、名前は出てくるもののなかなか出演が果たせなかったが、2003年5月13日に初出演してからはたびたび司会を務めていた。

これまでに出演した主なゲスト

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騎手

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調教師・調教助手・厩務員

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競馬評論家・ライター・トラックマン

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アナウンサー・司会者・キャスター

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その他

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使用曲

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オープニング後、およびエンディング
T-SQUARECOPACABANA』(ヴィレッジミュージック
オープニング
The RembrandtsI'll Be There for You

脚注

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  1. ^ その後も自分の番組の打ち合わせ前に時折顔を出したり、VTR収録の回には司会を務めたことがあった。
  2. ^ 2001年8月28日放送分のみ
  3. ^ 2003年7月29日放送分のみ
  4. ^ a b 電話出演のみ。
  5. ^ 共同テレビ所属時代にも出演。当時は司会も担当した。
  6. ^ 現役騎手時代にも出演。