コンテンツにスキップ

路木龍次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
路木 龍次
名前
カタカナ ミチキ リュウジ
ラテン文字 MICHIKI Ryuji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-08-25) 1973年8月25日(51歳)
出身地 長崎県
身長 178cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF (LSB) / MF (LSH, LWB)
利き足 右足
ユース
1989-1991 日本の旗 国見高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 日本の旗 サンフレッチェ広島 99 (8)
1998-1999 日本の旗 横浜F・マリノス[注 1] 19 (0)
1999-2002 日本の旗 浦和レッズ 55 (0)
2003 日本の旗 ヴィッセル神戸 0 (0)
2003 日本の旗 大分トリニータ 0 (0)
通算 173 (8)
代表歴2
1996  日本U-23 3 (0)
1996-1997 日本の旗 日本 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2003年12月31日現在。
2. 1997年8月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

路木 龍次(みちき りゅうじ、1973年8月25日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手DF)。左サイドのスペシャリスト。元日本代表。実兄は路木健

来歴

[編集]

国見高から1992年にサンフレッチェ広島に入団。同期には吉川公二がいる。当初は左サイドバックとして片野坂知宏の控えであったが、徐々に成長し出場機会を得出す。1995年、監督がビム・ヤンセンに代わると完全にレギュラー獲得。3-4-3の左ウイング・左サイドハーフ、あるいは3-5-2の左ウイングバックとして活躍、ピーター・ハウストラとのコンビでチャンスを量産した。[要出典]1996年にはアトランタ五輪代表レギュラー、その年末には初めてフル代表に選ばれた。

その後、広島が財政難に陥り、移籍金を得るため1998年に横浜マリノスに放出される。[要出典]怪我の連続で満足に試合に出られず、1999年6月には浦和レッドダイヤモンズへ期限付き移籍し[1]、翌年2000年に完全移籍[2]。2003年1月にヴィッセル神戸に移籍するが、家庭の事情により一ヶ月で退団[3]。同年、練習生を経て[4]大分トリニータに入団するも、契約満了により6月に退団[5]

エピソード

[編集]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 広島 - J - 0 0 0 0 0 0
1993 0 0 0 0 0 0 0 0
1994 12 0 0 0 0 0 12 0
1995 44 5 - 3 0 47 5
1996 17 2 8 1 5 0 30 3
1997 17 26 1 0 0 2 0 28 1
1998 横浜M 18 0 4 0 3 0 25 0
1999 横浜FM J1 1 0 0 0 - 1 0
浦和 34 15 0 4 0 2 0 21 0
2000 33 J2 14 0 0 0 0 0 14 0
2001 J1 16 0 3 0 4 0 23 0
2002 35 10 0 6 0 0 0 16 0
2003 神戸 22 0 0 0 0 - 0 0
大分 34 0 0 0 0 - 0 0
通算 日本 J1 159 8 31 1 16 0 206 9
日本 J2 14 0 0 0 0 0 14 0
総通算 173 8 31 1 16 0 220 9

その他の公式戦

代表歴

[編集]

出場大会など

[編集]

試合数

[編集]
  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(1996年 - 1997年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1996 1 0
1997 3 0
通算 4 0

出場

[編集]
No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1996年10月13日 日本の旗愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  チュニジア ○1-0 加茂周 プーマカップ
2. 1997年02月13日 タイ王国の旗バンコク  スウェーデン ●0-1 キングスカップ
3. 1997年05月21日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 △1-1 ワールドカップ記念試合
4. 1997年08月13日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  ブラジル ●0-3 国際親善試合

脚注

[編集]
  1. ^ 1998年は横浜マリノス

出典

[編集]
  1. ^ 中村忠(ヴェルディ川崎)、路木龍次(横浜F・マリノス)が加入』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、1999年6月8日。オリジナルの2003年4月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20030423011741/http://www.urawa-reds.co.jp:80/New/99_06/03.htm2018年9月20日閲覧 
  2. ^ 路木龍次選手移籍について』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2000年1月18日。オリジナルの2003年4月6日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20030406093713/http://www.urawa-reds.co.jp:80/New/00_01/08.htm2018年9月20日閲覧 
  3. ^ 路木龍次選手、退団のお知らせ(2/17)』(プレスリリース)2003年2月17日。オリジナルの2005年2月5日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20050205200306/http://vissel-kobe.co.jp:80/whatsnew/wn2003_1_2.html2018年9月20日閲覧 
  4. ^ 前神戸DF路木が大分の練習生に - ウェイバックマシン(2004年2月13日アーカイブ分) nikkansports.com (2003年3月27日)
  5. ^ 路木龍次選手退団のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2003年6月4日。オリジナルの2018年9月20日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20030621202912/http://www.oita-trinita.co.jp:80/cgibin/information2/article.cgi?No=8612018年9月20日閲覧 
  6. ^ 前園真聖 再会熱望する所在不明のアトランタ五輪メンバー 「気になっている、探したい」”. スポニチ. 2023年10月30日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]