越谷陸軍飛行場
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越谷陸軍飛行場 Koshigaya Army Airfield | |||||||
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IATA: ? - ICAO: ? | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 | 日本 | ||||||
所在地 |
埼玉県南埼玉郡新和村・荻島村 (現:埼玉県さいたま市岩槻区・越谷市) | ||||||
種類 | 軍用 | ||||||
所有者 | 大日本帝国 | ||||||
運営者 | 大日本帝国陸軍 | ||||||
開設 | 1945年 | ||||||
閉鎖 | 1945年 | ||||||
座標 | 北緯35度54分50秒 東経139度44分54.5秒 / 北緯35.91389度 東経139.748472度 | ||||||
滑走路 | |||||||
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越谷陸軍飛行場(こしがやりくぐんひこうじょう)は、かつて埼玉県南埼玉郡新和村および荻島村(現:さいたま市・越谷市)にまたがり存在した大日本帝国陸軍の軍用飛行場。
概要
[編集]太平洋戦争末期に急造された。現在はしらこばと水上公園などがある。正式名称は設定されなかったため、新和飛行場(にいわひこうじょう)、荻島飛行場(おぎしまひこうじょう)、論田飛行場(ろんでんひこうじょう)などとも呼ばれた[1]。飛行場の建設は1944年(昭和19年)7月に開始され、同年9月20日に竣工予定であったが悪天候などにより工期が延び、1945年(昭和20年)の完成となった。
戦後、1946年(昭和21年)10月に新和村で組織された農民組合により、農地を奪われた新和飛行場跡地の返還運動が組合を通して働きかけられていた。これにより幾分かの土地は新和村などに返還されたが、多くは戦災者や引揚者を主とした入植開墾地として開放された。
沿革
[編集]- 1944年(昭和19年)7月 - 飛行場建設が開始され、勤労報国隊による工事がおこなわれる。
- 1944年(昭和19年)9月20日 - 竣工予定が延期となる。
- 1945年(昭和20年) - 竣工する。
- 1945年8月15日 - 終戦となる。
- 1946年(昭和21年)10月 - 新和村において農地の返還運動が行われる。
所在地
[編集]周辺
[編集]脚注・参考資料
[編集]脚注
- ^ 越谷市史 第二巻
参考資料
- 『岩槻市史 通史編(1115ページ~1117ページ、1161ページ)』 岩槻市役所 発行 昭和六十年三月十五日 発行
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「岩槻散策マップ11「新和地区(南)」」 (PDF) - さいたま市ホームページ[リンク切れ]
- 「岩槻区内を散策してみませんか」 - さいたま市ホームページ
- 「<戦後70年>越谷に旧日本陸軍の飛行場 朝鮮人の子も建設加わる(2015年9月8日)」 - 埼玉新聞社ホームページ[リンク切れ]
- 「<戦後70年>越谷に旧日本陸軍の飛行場 朝鮮人の子も建設加わる」 - YAHOO!JAPAN ニュース(埼玉新聞社)[リンク切れ]
- 「越谷に幻の陸軍飛行場・20日から「歴史講座」参加を」 - 東武よみうり新聞社ホームページ[リンク切れ]
- 『歴史的農業環境閲覧システム』 - 独立行政法人 農業環境技術研究所ホームページ
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
- 所在地周辺(1946年2月13日撮影)
- 所在地周辺(1947年10月23日撮影)
- 所在地周辺(1949年5月10日撮影)
- 所在地周辺(1956年3月6日撮影)
- 所在地周辺(1961年6月11日撮影)
- 所在地周辺(1967年4月23日撮影)
- 所在地周辺(1975年1月3日撮影)
- 所在地周辺(1979年10月1日撮影)
- 所在地周辺(1984年10月31日撮影)
- 所在地周辺(1989年10月21日撮影)
- 所在地周辺(1995年5月24日撮影)
- 所在地周辺(1998年11月3日撮影)
- 所在地周辺(2003年5月1日撮影)
- 所在地北部周辺(2007年4月30日撮影)
- 所在地南部周辺(2007年4月30日撮影)
- 所在地周辺(2013年2月10日撮影)