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赤松時則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
赤松時則
時代 南北朝時代 - 室町時代前期
生誕 不明
死没 不明
別名 性興
官位 三河[1]
主君 足利義満
氏族 赤松氏
父母 父:赤松則祐[1]
兄弟 義則[2]時則満則[1]持則義房有馬義祐[1]祐秀[1]、妹(細川頼元室)
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赤松 時則(あかまつ ときのり)は、室町時代前期の武将

赤松則祐の子で義則の次弟。明徳4年(1393年)6月に領地を寄進したとされているが、子孫の記録が無く彼自身の事跡も不明なため、早世して子孫も庶家として発展しなかったようである。

脚注

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参考文献

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  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 
  • 高坂好 著、日本歴史学会 編『赤松円心・満祐』 155巻、吉川弘文館〈人物叢書〉、1970年3月。 NCID BN02378981OCLC 29341608全国書誌番号:73006025