賀茂岑雄
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時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 峯雄 |
官位 | 従五位下・越中守 |
主君 | 文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 賀茂朝臣氏 |
父母 | 父:賀茂江人 |
兄弟 | 弟岑、岑雄 |
子 | 貞子 |
賀茂 岑雄(かも の みねお)は、平安時代前期の貴族。名は峯雄とも記される。出羽介・賀茂江人の子。官位は従五位下・越中守。
経歴
[編集]斉衡4年(857年)大外記に任ぜられ、文徳朝末から清和朝初頭に掛けてこれを務める。
貞観4年(862年)従五位下に叙爵し、翌貞観5年(863年)相模権介に任ぜられると、貞観6年(864年)上野権介、貞観8年(866年)越前介、のち越中守と、一転して地方官を歴任した。この間の貞観12年(870年)長雨により河内国で水害が発生したことから、築河内国堤使が任命された際、岑雄はその次官を務めている。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 斉衡4年(857年) 正月14日:大外記[1]
- 時期不詳:正六位上
- 貞観4年(862年) 正月7日:従五位下
- 貞観5年(863年) 2月16日:相模権介
- 貞観6年(864年) 正月16日:上野権介
- 貞観8年(866年) 正月13日:越前介
- 貞観12年(870年) 7月5日:築河内国堤使次官
- 時期不詳:越中守[2]