親桜子
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しん さくらこ 親 桜子 | |
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本名 | 山田 厚子 |
生年月日 | 1949年5月12日(75歳) |
出生地 | , 静岡県 |
身長 | 159cm[1] |
ジャンル | 女優 |
主な作品 | |
テレビドラマ 『三人の母』 『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』 |
親 桜子(しん さくらこ、1949年5月12日[1][2] - )は、日本の元女優。本名、山田 厚子[1][2][3][4][5]。
静岡県御殿場市出身[3][4][5]。静岡県立御殿場南高等学校中退[2][5]。オフィス・トゥー・ワンに所属していた[2][3]。
来歴・人物
[編集]芸能界入りを反対する家族を説得し高校を1年で中退して松竹音楽舞踊学校に入学[4][5]。1967年、同校を卒業[2][6][5]。1968年、文学座の研究生となる[3][4][7]。数本のテレビドラマのゲスト出演を経て同年、 ポーラテレビ小説『三人の母』と『泥棒育ち ドロボーイ』にレギュラー出演[4][6][5]。当時のプロフィールでは見かけに寄らず芯は強いと紹介されている[5]。
1971年、ピープロ制作の特撮ドラマ『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』に第17話から第35話までレギュラー出演した。本作で共演した成川哲夫は、著書の中で「真面目で純粋な印象のためスタッフに気に入られていた」と記している[8]。
出演作品
[編集]テレビドラマ
[編集]- 太郎(1967年、NHK)
- 泣いてたまるか(TBS)
- 第65話「ああ軍歌」(1967年)
- 第74話「意地が涙を」(1968年)
- 別れてもなお(1968年、CX)
- ケンチとすみれ (1968年、NHK)
- 泥棒育ち ドロボーイ(1968年、NTV)
- ポーラテレビ小説(TBS)
- フジ三太郎 第35話「真夏のハプニング」(1969年、TBS)
- オレとシャム猫 第7話「電気椅子に坐ったアヒル」(1969年、TBS)
- 青空にとび出せ! 第18話「ロミオとジュリエットは縞の服」(1969年、TBS)
- 俺は用心棒 第2シリーズ 第26話「暁雲」(1969年、NET)
- お嫁さん 第7シリーズ(1969年 - 1970年、CX)
- 女殺し屋 花笠お竜 第10話「はだか剣法みだれ髪」(1969年、12ch)
- コント55号60分一本勝負 第18話「生んだが勝ち」(1970年、NET)
- 人形佐七捕物帳 第14話「二人お信乃」(1971年、NET) - 丸ぽちゃお信乃
- 宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン 第17話「空飛ぶ鯨サンダーゲイ」 - 第35話「スペクトルマンが死んだ!?」(1971年、CX) - 立花みね子
- 気になる嫁さん 第5話「おとなの胸のうち」(1971年、NTV)
- ライオン奥様劇場(CX)
- 青春の門 第二部 第24話(1978年、MBS)
- チェックメイト78 第7話「警部と教授殺人事件」(1978年、ABC)
映画
[編集]- ザ・スパイダースの大進撃(1968年、日活) - 若い娘
- 思い出の指輪(1968年、松竹) - 新子
その他のテレビ番組
[編集]- こんにちわバラエティ[5](1969年、NTV)
CM
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『日本タレント名鑑'80』VIPタイムズ社、1979年、305頁。
- ^ a b c d e f g 『読売新聞』1968年2月18日付朝刊、10面、ラジオ・テレビ欄。
- ^ a b c d 『福島民報』1968年5月19日付朝刊、7面。
- ^ a b c d e f 『福島民報』1968年9月27日付朝刊、7面。
- ^ a b c d e f g h 『福島民報』1969年6月4日付朝刊、8面。
- ^ a b 『朝日新聞』1968年9月16日付夕刊、12面、ラジオ・テレビ欄。
- ^ 『読売新聞』1968年11月8日付朝刊、25面。
- ^ 『ピー・プロ70'sヒーロー列伝 (1) スペクトルマン』ソニー・マガジンズ、1999年12月1日、43-44頁。ISBN 4-7897-1443-8。