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西五辻文仲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
西五辻文仲
時代 江戸時代末期 - 昭和時代前期
生誕 安政6年1月1日1859年2月3日[1][注 1]
死没 1935年昭和10年)4月17日[1][4]
主君 孝明天皇明治天皇大正天皇昭和天皇
氏族 西五辻家
父母 父:五辻高仲
兄弟 五辻安仲文仲
為子
光仲
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西五辻文仲(大正頃)

西五辻 文仲(にしいつつじ あやなか)は、明治期の宮内官、政治家奈良華族貴族院男爵議員。旧姓・五辻[1]、幼名・亀麿[3]、旧名・清純[1]

経歴

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山城国京都五辻高仲の三男として生まれる[1]興福寺明王院住職[1][注 2]となるが、慶応4年4月1868年)復飾を命ぜられ[1]春日社新社司となる[3]明治2年12月1870年1月)、華族に列し西五辻家を創建した[1]明治3年9月22日1870年10月16日)元服し昇殿を許された[2]1876年5月、永世華族となり、1884年7月8日、男爵を叙爵した[1][5]

開成学校でドイツ学を修め、1873年、宮内省九等出仕となる[2][3][4]。以後、宮中祗候、歌御会始講頌、青山御所勤務、日本大博覧会評議員などを務めた[3][4][6]

1890年7月10日、貴族院男爵議員に選出され、1911年7月9日まで三期在任した[4][6]1933年12月11日に隠居した[1][7]

親族

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  • 父:五辻高仲
  • 妻:西五辻為子(裏松勲光二女)[1]
    • 長男:西五辻美仲(早世2歳)
    • 長女:西五辻貞子(早世2歳)
    • 次女:西五辻幸子(早世2歳)
    • 三女:山口正子(男爵山口豊男夫人)[1][6]
    • 次男:西五辻朱仲(嫡男)
    • 三男:西村敬仲
    • 四女:説田桃子(説田彦助夫人)[1][6]
    • 五女:原清子(原正年夫人)
    • 六女:石本留子(石本貫一夫人)
    • 養子:西五辻光仲(男爵)[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ または、安政6年1月7日(1859年2月9日)であるともいう[2][3]
  2. ^ または、大聖院住職とも[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 霞会館 1996b, p. 303.
  2. ^ a b c 西五辻文仲差出 1875.
  3. ^ a b c d e f 平凡社 1979, p. 7.
  4. ^ a b c d 衆議院 & 参議院 1990, p. 81.
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ a b c d 人事興信所 1931, p. ニ15.
  7. ^ 『官報』第2087号、昭和8年12月14日。
  8. ^ 霞会館 1996a, p. 157.

参考文献

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  • 西五辻文仲差出『西五辻家譜』1875年。  - 東京大学史料編纂所所蔵。
  • 人事興信所 編『人事興信録』(9版)人事興信所、1931年。 
  • 平凡社 編『日本人名大事典』 5巻、平凡社、1979年。  - 『新撰大人名辞典』(昭和12年刊)の改題複製
  • 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《上巻》吉川弘文館、1996年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《下巻》吉川弘文館、1996年。 
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。 


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
西五辻家初代
1884年 - 1933年
次代
西五辻光仲