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蜂矢敏行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蜂矢 敏行
基礎情報
四股名 蜂矢 敏行 → 栃ノ矢 敏行 → 蜂矢 敏行
本名 蜂矢 敏行
生年月日 1950年11月16日
没年月日 (2001-01-27) 2001年1月27日(50歳没)
出身 岐阜県本巣郡根尾村
身長 180cm
体重 110kg
BMI 33.95
所属部屋 春日野部屋
得意技 左四つ、吊り、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭6枚目
生涯戦歴 638勝625敗7休(114場所)
幕内戦歴 26勝34敗(4場所)
優勝 十両優勝1回
幕下優勝1回
データ
初土俵 1968年9月場所
入幕 1981年11月場所
引退 1987年9月場所
備考
2019年7月22日現在

蜂矢 敏行(はちや としゆき、1950年11月16日 - 2001年1月27日)は、岐阜県本巣郡根尾村(※現役当時、現在の同県本巣市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西前頭6枚目(1984年11月場所)。現役時代の体格は180cm、110kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。

来歴・人物

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地元・根尾村の中学校を卒業後、愛知県犬山市スーパーマーケットに勤務していたが、1967年7月に相撲見物に行った事を切っ掛けに相撲取りになる事を決意。しかし、体重が規定の75kgより下回っていたため、その後故郷に戻って体重増加に努めた。

1年後、春日野部屋への入門を許され、1968年9月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口当初から、本名でもある「蜂矢」の四股名で相撲を取り(一時「栃ノ矢」と改名した時期もあったが、すぐに元の「蜂矢」の名に戻している)、1976年5月場所で新十両に昇進。以降は、幕下と十両との往復を幾度も繰り返した。だが、十両24場所目の1981年9月場所では東十両5枚目に在って10勝5敗と好成績を残し、これを手土産に翌11月場所で念願の新入幕を果たした。序ノ口に付いてから約13年、80場所目での超スロー入幕であった。

小兵だが腕力は強く、投げや吊り寄りの大きい相撲を取ったが、頭をつけて食い下がる相撲は少なかった。そのため幕内では通用しなかったが、十両在位は歴代1位(大潮とタイ)の55場所と、息の長い土俵生活を送った。

再入幕を果たした1984年9月場所では、東前頭14枚目の地位で10勝を挙げている。

1985年1月場所を最後に幕内から遠ざかり、以降は長く十両で相撲を取ったが、幕下に落ちて全休した1987年9月場所を以って36歳で引退した。

春日野部屋が出羽海一門という事から、同じ一門で力士の人数が少なかった三保ヶ関部屋で横綱・北の湖付け人を長く務め、“北の湖の参謀”と呼ばれた。その縁から、引退後は北の湖親方から年寄名跡の「小野川」を借り、春日野部屋から北の湖部屋へと移籍して後進の指導に当たった。後に協会の仕事で多忙となった北の湖に代わる、部屋の現場監督のような立場となった。

2001年1月27日、上顎がんのため、東京都内の病院で死去。50歳没[1]

主な成績・記録

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  • 通算成績:638勝625敗7休 勝率.505
  • 幕内成績:26勝34敗 勝率.433
  • 十両成績:399勝426敗 勝率.484
  • 現役在位:114場所
  • 幕内在位:4場所
  • 十両在位:55場所(史上1位タイ)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1976年7月場所)
    • 幕下優勝:1回(1976年3月場所)
  • 通算連続出場:1263回(史上12位。初土俵からの記録では史上9位。1968年11月場所 - 1987年7月場所)

場所別成績

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蜂矢 敏行
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1968年
(昭和43年)
x x x x (前相撲) 東序ノ口8枚目
6–1 
1969年
(昭和44年)
東序二段26枚目
3–4 
東序二段33枚目
3–4 
東序二段39枚目
6–1 
東三段目85枚目
3–4 
東三段目94枚目
4–3 
西三段目79枚目
4–3 
1970年
(昭和45年)
西三段目63枚目
4–3 
東三段目47枚目
3–4 
西三段目53枚目
4–3 
西三段目32枚目
5–2 
西三段目10枚目
3–4 
東三段目21枚目
6–1 
1971年
(昭和46年)
東幕下49枚目
4–3 
東幕下40枚目
2–5 
東幕下60枚目
5–2 
東幕下35枚目
3–4 
西幕下41枚目
5–2 
東幕下24枚目
3–4 
1972年
(昭和47年)
東幕下31枚目
4–3 
西幕下26枚目
3–4 
西幕下31枚目
5–2 
西幕下18枚目
2–5 
東幕下31枚目
4–3 
東幕下29枚目
2–5 
1973年
(昭和48年)
西幕下50枚目
3–4 
西幕下58枚目
4–3 
東幕下52枚目
5–2 
東幕下32枚目
3–4 
東幕下42枚目
3–4 
東幕下52枚目
6–1 
1974年
(昭和49年)
西幕下23枚目
6–1 
東幕下8枚目
2–5 
東幕下26枚目
6–1 
西幕下7枚目
3–4 
東幕下12枚目
4–3 
西幕下10枚目
1–6 
1975年
(昭和50年)
東幕下37枚目
4–3 
東幕下32枚目
2–5 
東幕下52枚目
6–1 
東幕下25枚目
4–3 
西幕下19枚目
2–5 
東幕下38枚目
5–2 
1976年
(昭和51年)
東幕下25枚目
4–3 
西幕下19枚目
優勝
7–0
東十両12枚目
7–8 
東十両13枚目
優勝
11–4
東十両2枚目
4–11 
西十両7枚目
6–9 
1977年
(昭和52年)
西十両10枚目
7–8 
西十両11枚目
8–7 
東十両8枚目
8–7 
東十両6枚目
8–7 
西十両2枚目
3–12 
東十両12枚目
8–7 
1978年
(昭和53年)
西十両9枚目
7–8 
西十両13枚目
3–12 
東幕下13枚目
4–3 
東幕下7枚目
2–5 
西幕下23枚目
5–2 
西幕下10枚目
4–3 
1979年
(昭和54年)
西幕下7枚目
6–1 
西十両12枚目
8–7 
東十両10枚目
7–8 
東十両10枚目
7–8 
東幕下筆頭
3–4 
東幕下7枚目
4–3 
1980年
(昭和55年)
東幕下4枚目
5–2 
東幕下筆頭
4–3 
東十両13枚目
8–7 
東十両11枚目
8–7 
西十両6枚目
5–10 
西十両10枚目
8–7 
1981年
(昭和56年)
東十両7枚目
6–9 
東十両11枚目
10–5 
西十両3枚目
7–8 
西十両3枚目
7–8 
東十両5枚目
10–5 
東前頭13枚目
5–10 
1982年
(昭和57年)
東十両4枚目
6–9 
西十両7枚目
7–8 
西十両9枚目
7–8 
西十両10枚目
9–6 
東十両5枚目
7–8 
西十両7枚目
7–8 
1983年
(昭和58年)
西十両9枚目
8–7 
西十両8枚目
7–8 
東十両9枚目
8–7 
西十両6枚目
8–7 
東十両5枚目
6–9 
西十両8枚目
8–7 
1984年
(昭和59年)
西十両5枚目
6–9 
西十両9枚目
11–4 
西十両3枚目
7–8 
東十両5枚目
10–5 
東前頭14枚目
10–5 
西前頭6枚目
6–9 
1985年
(昭和60年)
西前頭11枚目
5–10 
西十両2枚目
6–9 
東十両6枚目
6–9 
東十両9枚目
9–6 
東十両6枚目
8–7 
東十両4枚目
8–7 
1986年
(昭和61年)
西十両2枚目
6–9 
東十両5枚目
7–8 
西十両6枚目
6–9 
東十両12枚目
9–6 
東十両7枚目
7–8 
東十両9枚目
8–7 
1987年
(昭和62年)
東十両6枚目
9–6 
東十両2枚目
7–8 
東十両5枚目
6–9 
西十両9枚目
4–11 
東幕下7枚目
引退
0–0–7
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青葉城 2 1 青葉山 1 0 板井 0 1 岩波 1 0
大潮 0 1 巨砲 1 0 大錦 1 2 魁輝 1 1
霧島 1 0 麒麟児 0 2 蔵間 1 2 高望山 0 2
琴千歳 1 0 逆鉾 1 0 佐田の海 0 1 陣岳 0 2
太寿山 1 0 大徹 3 0 大飛 0 1 隆三杉 1 2
高見山 0 1 多賀竜 0 2 出羽の花 2 1 闘竜 2 0
飛騨乃花 1 1 富士櫻 0 1 鳳凰 1 3 水戸泉 0 1

改名歴

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  • 蜂矢 敏行(はちや としゆき)1968年11月場所 - 1972年5月場所
  • 栃ノ矢 将史(とちのや まさふみ)1972年7月場所 - 1973年1月場所
  • 蜂矢 敏行(はちや としゆき)1973年3月場所 - 1987年9月場所

年寄変遷

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  • 小野川 敏行(おのがわ としゆき)1987年9月 - 2001年1月

脚注

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関連項目

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参考文献

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外部リンク

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