藤田琉生
北海道日本ハムファイターズ #32 | |
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![]() 2024年8月28日 ほっともっとフィールド神戸 | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 神奈川県藤沢市 |
生年月日 | 2006年11月17日(18歳) |
身長 体重 |
198 cm 96 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2024年 ドラフト2位 |
年俸 | 770万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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藤田 琉生(ふじた りゅうせい、2006年11月17日 - )は、神奈川県藤沢市出身[2]のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]藤沢市立羽鳥小学校1年生のときに『羽鳥ファイターズ』で野球を始め、6年時は投手兼捕手の4番打者として県大会優勝。藤沢市立羽鳥中学校時代は硬式野球の『湘南クラブボーイズ』でプレーし、3年夏に投手として全国大会に出場した[3]。
東海大学付属相模高校へ進学したが、大きな身体を上手く使いこなせずに制球に苦しみ[4]、2年夏の神奈川大会前には左肘を疲労骨折した[5]。2年秋に背番号18で初めてベンチ入りし、横浜高校との県大会準決勝では同点の9回裏から登板し、チームは10回表に4得点したが[6]、藤田が10回裏に制球を乱して途中降板し[5]、5失点を喫して敗退[6]。ただ、翌2024年2月に高校野球で二段モーションが解禁されると[2]、「自分のあったリズムで投げることで気持ちも楽。(フォームに)ストレスがなくなった」と二段モーションの投球フォームに変えたことで制球力が格段に向上した[4]。3年春は初めて背番号1を付け[6]、県大会では準優勝、関東大会ではベスト8[3]。3年夏の神奈川大会では先発にリリーフとフル回転し、計20回1/3を5失点[5]とチーム5年ぶりの甲子園大会出場の原動力となった[6]。甲子園でもエースとして3試合に登板し、防御率0.84でチームをベスト8に導いた[4]。その後、BFA U-18アジア選手権大会の日本代表に選出され[7]、その壮行試合では自己最速の150km/hを計測[6]。同大会では2試合・5回2/3を投げ、無失点で準優勝に貢献した[4]。
2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから2位指名を受けた[8]。11月26日には契約金6000万円・年俸770万円(いずれも金額は推定)で仮契約を締結[1]。12月8日に新入団会見が行われ、背番号は32と発表された[9]。担当スカウトは坂本晃一[10][11]。
選手としての特徴
[編集]198cmの長身が生む角度が最大の武器である左腕[12]。持ち球は最速150km/hのストレート、ナックルカーブ、チェンジアップ[3]、スライダーなどがある[4]。
人物
[編集]両親はともにバレーボール経験者であり、母はVリーグのNECレッドロケッツに2年半在籍した[13]。
両親ゆずりの長身[5]で「手足が長く、正直、扱うのは難しいです。あまりケースがないですから、経験値からも教える側も大変で、言葉で伝えるのも難しいと思います。指導者のアドバイスに耳を傾けながらも、自分自身がしっかりしていかないといけない。ライバルは常に『自分』です」と好きなプロ野球選手やライバルもいないというが[6]、「小笠原慎之介投手が背番号1で日本一になったのが印象的だった。自分も小笠原投手と同じ湘南ボーイズに入ったのも、それの影響。テレビの生中継で見て、鮮明に覚えている[4]」と尊敬する投手に小笠原の名前を挙げている[6]。
詳細情報
[編集]背番号
[編集]- 32(2025年[9] - )
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 「日本ハムD2位・藤田流生が仮契約 将来はメジャー志向も「まずは先を考えず目の前のやるべきことをやっていきたい」」『サンケイスポーツ』2024年11月26日。2024年12月8日閲覧。
- ^ a b 「【甲子園】東海大相模198cm左腕の藤田琉生が大化けした理由 あれが禁止のままだったなら…」『日刊スポーツ』2024年8月13日。2024年10月23日閲覧。
- ^ a b c 「【ドラフト】日本ハム・2位 藤田琉生(東海大相模高) 198cmの世代No.1左腕/プロ野球ドラフト会議」『週刊ベースボールONLINE』2024年10月24日。2024年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 「【10・24 ドラフトを待つ男たち】東海大相模・藤田琉生、唯一無二の投手に 中日・小笠原にあこがれた長身198センチ左腕のでっかい夢へ第一歩」『サンスポ』2024年10月22日。2024年10月23日閲覧。
- ^ a b c d 「元バレー選手の親ゆずりの長身 遅咲きエース、東海大相模・藤田琉生」『朝日新聞デジタル』2024年8月5日。2024年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「【高校野球】ドラフトを待つ東海大相模・藤田琉生 198センチ左腕が描く未来像は明確」『週刊ベースボールONLINE』2024年10月10日。2024年10月27日閲覧。
- ^ 「侍ジャパン U-18」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』。2024年10月23日閲覧。
- ^ 小島信行「【ドラフト】日本ハム2位198センチ左腕東海大相模・藤田琉生「将来的には海外を目指せる選手に」」『日刊スポーツ』2024年10月24日。2024年10月25日閲覧。
- ^ a b 「【日本ハム】ドラ1柴田獅子は“1の系譜”31 新入団会見で発表 ドラ5早大・山県秀は54」『日刊スポーツ』2024年12月8日。2024年12月8日閲覧。
- ^ 「ドラフト2位・藤田琉生 プロで唯一無二の存在を目指す」『道新スポーツ』2024年11月5日。2025年1月19日閲覧。
- ^ 「【日本ハム】ドラ2東海大相模・藤田琉生、急成長に大渕スカウト部長は「シンデレラボーイ」」『日刊スポーツ』2024年11月26日。2025年1月19日閲覧。
- ^ 「東海大相模高・藤田琉生(投手) 唯一無二の角度「『左投手と言ったら藤田』という、一番の存在になりたい」」『週刊ベースボールONLINE』2024年10月21日。2024年10月27日閲覧。
- ^ 「【高校野球】東海大相模コールド発進 198センチ左腕・藤田琉生“バレー投法”で3回完全!母はNECでプレー父も経験者」『スポーツ報知』2024年7月11日。2024年10月25日閲覧。