藤屋 (長野市)
種類 | 株式会社 |
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略称 | 藤屋御本陳 |
本社所在地 |
日本 〒380-0841 長野県長野市大門町80 |
設立 | 1950年(昭和25年)4月27日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 4100001004977 |
事業内容 | レストラン業・ウェディング業 |
代表者 | 藤井大史郎(代表取締役・17代当主) |
資本金 | 1000万円 |
従業員数 | 150名 |
支店舗数 | 5店舗 |
決算期 | 10月 |
外部リンク | https://thefujiyagohonjin.com/ |
特記事項:創業は1648年(慶安元年)。2005年(平成17年)までは旅館業。 |
株式会社藤屋(ふじや)は、長野県長野市に本社を置くレストラン・ブライダル業を営む企業。
善光寺門前のレストラン・結婚式場「THE FUJIYA GOHONJIN」(旧 御本陳藤屋旅館・国の登録有形文化財)などを運営している。
概要
[編集]善光寺宿の御本陳
[編集]前身である御本陳藤屋旅館(ごほんじんふじやりょかん)は、旧北国街道善光寺宿の本陣として長い歴史を持つ旅館である。
善光寺門前の大門町は旅籠の営業を独占する特権を持ち30軒ほどの旅籠があったが[1]、この中で藤屋は本陣として加賀藩前田家の参勤交代時の常宿となっていた(なお、藤屋では「本陣」を「本陳」と表記している)。「一生に一度は詣れ」といわれる名刹・善光寺門前の宿場とあって、大門町は大変な賑わいを見せていたが、藤屋は各宿と客引きの禁止を取り決め、町の格式を保ったという[2]。
駅前支店
[編集]1888年(明治21年)には開通した直江津線(信越線)の長野駅・吉田駅(北長野駅)前に支店を作った。長野駅前支店は「長野停車場に下れば、右角に三層楼あり」と宣伝され、欧風三階建ての建物だったが、1945年(昭和20年)7月からの駅前道路拡幅の折りに、取り壊されている。[3]
對旭館
[編集]1892年(明治25年)には、欧風要素を取り入れた木造三層楼に建て替え、裾花川沿いの旭山に対する館として「對旭館(たいきょくかん)」と称した。また、1888年(明治21年)に開通していた信越本線の長野駅・吉田駅(現 北長野駅)前にも支店を出店し(現存せず)、鉄道の時代に入っても旅人の憩いの場であり続けた。
アール・デコ様式への改築
[編集]THE FUJIYA GOHONJIN (藤屋御本陳) | |
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THE FUJIYA GOHONJIN(藤屋御本陳)外観 | |
情報 | |
旧名称 | 御本陳藤屋旅館 |
用途 | レストラン・ウェディング会場 |
旧用途 | 旅館 |
設計者 | 藤井平五郎 |
施工 | 師田庄左衛門 |
事業主体 | 株式会社藤屋 |
管理運営 | 株式会社藤屋 |
構造形式 | 木造 |
建築面積 | 967 m² |
階数 | 地上3階・地下1階 |
エレベーター数 | 1台 |
竣工 | 1925年(大正14年) |
所在地 |
〒380-0841 長野県長野市大門町80 |
座標 | 北緯36度39分25.67秒 東経138度11分15.66秒 / 北緯36.6571306度 東経138.1876833度座標: 北緯36度39分25.67秒 東経138度11分15.66秒 / 北緯36.6571306度 東経138.1876833度 |
文化財 | 国の登録有形文化財(建造物) |
指定・登録等日 | 1997年(平成9年)6月24日 |
背景
[編集]大正初期から始まった長野市の市区改正事業の中で、藤屋が面する中央通り(善光寺表参道)も1924年(大正12年)から翌年にかけて倍の広さに拡幅された。
これに伴い沿道の商家では「道幅(10間)相応の高さとする」「防火のため庇境を拡張する」「塗屋造または鉄筋コンクリート造とする」等の申し合わせがなされた[4]が、この中で1925年(大正13年)藤屋も洋風建築に改築された。
竣工
[編集]1918年(大正7年)の善光寺仁王門再建を担った宮大工・師田庄左衛門が手がけたこの建物は、外観は鉄筋コンクリートにタイルを貼ったアール・デコ調、内部は木造数寄屋造という和魂洋才の館である[5][6]。
登録有形文化財
[編集]この建物は1997年(平成9年)に国の登録有形文化財(建造物)に長野市で初めて[5]登録された。[7]
リノベーション
[編集]後述する2006年(平成18年)の業態転換に伴い、構造の強化と内外装のリノベーションを行い、現在の大正ロマンとモダニズムが調和する空間に生まれ変わった。[8]
現在
[編集]現在でもレストラン・ウェディング会場として運営されている。その意匠は町並みの修景が図られ文化財建造物が立ち並ぶ大門町の中でも、ランドマークとして親しまれている[7]。
旅館業からの業態転換
[編集]皇族のほか伊能忠敬[9]や伊藤博文、福沢諭吉、渋沢栄一[10]など各時代の名士が通った長野屈指の名門旅館も、1998年(平成10年)の長野オリンピックの閉幕とともに転機を迎える。五輪特需後の宿泊施設の供給過剰や、北陸新幹線や高速道路開通に伴う日帰り客の増加は、藤屋にとっても大きな打撃となっていた[11]。
その中で17代目当主となった藤井大史郎は、京都・東京の実例をもとに、旅館業の休業とレストラン・ウェディングへの業態転換を決断[11]。歴史ある旅館を閉じることに女将ら周囲は反対したが2年かけ納得を得[12]、2006年(平成18年)に旅館業を休業してレストラン・ウェディング業に特化し、「THE FUJIYA GOHONJIN」に改称した。藤屋の理念である「不易流行」の「不易」に当たるものとして古くからの建物・庭園を極力残し、「流行」に当たるものとして今まで希薄だった地元客の利用を業態転換により増やし、若い従業員の採用で新たなサービスの提供を図っている[13][14]。
2012年(平成24年)には、藤屋の向かいにあり、同じく善光寺宿の老舗でありながら前年に廃業した五明館を改装。パティスリー&カフェ・藤屋別館「平五郎(HEIGORO)」として復活させた。この平五郎は、将来藤屋が旅館業を再開した時に、アメニティやスイーツのショップとして展開することを考えたものである[11]。なお、「平五郎」は藤屋当主が代々襲名する名である。
沿革
[編集]- 1648年(慶安元年) - 創業
- 1776年(安永5年) - これ以降、善光寺宿の本陣を藤井家が独占[15]
- 1925年(大正13年) - 現在のアール・デコ様式建築に建て替え
- 1950年(昭和25年)4月27日 - 法人化
- 1997年(平成9年)6月24日 - 建物が国の登録有形文化財(建造物)に登録される
- 2006年(平成18年)4月 - 旅館業を休業し、レストラン・ウェディング業に転換。THE FUJIYA GOHONJINに改称
- 2012年(平成24年)4月20日 - 藤屋別館「平五郎(HEIGORO)」開業
- 2014年(平成26年)3月20日 - 軽井沢・プリンスショッピングプラザに「門前洋食 藤屋」開業
- 2015年(平成27年)3月 - 長野駅ステーションビルMIDORIに「平五郎 MIDORI 長野店」開業
- 2023年(令和5年)11月 - 小諸宿本陣主屋を活用したレストラン「KOMORO HONJIN OMOYA」開業
店舗・営業
[編集]THE FUJIYA GOHONJIN
[編集]施設
[編集]- 3階
- THE GRAND HALL TAIKYOKU - パーティー会場
- 2階
- THE SANDOH - パーティー会場
- 1階
- THE SALON - サロン。旧社交場「藤倶楽部」
- THE LOUNGE - 庭園に臨むラウンジ。
- THE ALCOVE - カフェ・バーの一部
- THE MAIN DINING WISTERIA - オープンキッチンのレストラン・パーティー会場
- ランチ - 平日11:30-15:00(14:00ラストオーダー)
- ディナー - 平日17:30-22:00/土日19:00-22:00(21:00ラストオーダー)
- ANTE ROOM - 新郎新婦控室。旧宝蔵
- THE HONJIN - 会食・パーティー会場。旧VIPルーム「本陳の間」1階
- THE AOGIRI - 会食・パーティー会場。旧VIPルーム「本陳の間」2階
- 日本庭園
- THE BRICKS MUSIC HALL - 音楽堂・挙式施設
パティスリー 平五郎 本店
[編集]建物は旧「扇屋 五明館」。ケーキや焼き菓子等の洋菓子を製造・販売する商店で、カフェを併設する。屋号の「平五郎」は藤屋の当主が代々襲名した名前に由来する。
- 住所: 長野県長野市大門町515
- アクセス: JR・しなの鉄道・長野電鉄長野駅からアルピコ交通(川中島バス)10〜17系統ほか「善光寺大門」下車すぐ
- 営業時間: 平日 11:00-18:00|土曜日 10:00-18:00|日曜日・祝日 11:00-17:00
- 定休日: 火曜日(祝日の場合は営業)
平五郎 MIDORI 長野店
[編集]長野駅ステーションビルMIDORI「信州おみやげ参道 ORAHO」内の土産菓子店。
門前洋食 藤屋
[編集]軽井沢・プリンスショッピングプラザ「軽井沢 味の街」内の洋食店。
KOMORO HONJIN OMOYA
[編集]小諸宿本陣主屋を活用したレストラン。
善光寺七福神
[編集]御本陣藤屋には善光寺七福神の一つ、布袋尊が祀られている。善光寺七福神の中で唯一寺社ではない。
祀られている布袋尊は、戦艦大和最後の艦長である有賀幸作(長野県出身)の生家に伝わるものである[16]。
- その他の善光寺七福神
- 刈萱山西光寺(北石堂町) - 寿老人
- 秋葉神社・紫雲山頼朝院十念寺(西後町) - 福禄寿
- 世尊院(元善町) - 毘沙門天
- 大国主神社(南県町) - 大黒天
- 蓮池山往生院(権堂町) - 弁財天
- 西宮神社(岩石町) - 恵比寿天
脚注
[編集]- ^ 阿久津昌三「都市を解読する -長野祇園祭から長野びんずるまで (1)-」『信州大学教育学部紀要』第80号、信州大学教育学部、1993年12月、103-115頁、ISSN 03737381、NAID 110000236989。
- ^ ヒストリー&ビジョン - THE FUJIYA GOHONJIN
- ^ 長野市公文書「魅(み)てみよう100年前の長野市(解説シート7)」
- ^ 浅野純一郎「門前町における近代都市計画の展開 : 明治・大正期における長野市の市街地形成と市区改正計画に着目して」『長野工業高等専門学校紀要』第35巻、長野工業高等専門学校、2001年12月、45-56頁、CRID 1050282812590658432、ISSN 0286-1909。
- ^ a b 藤屋旅館 - 長野市文化財データベース
- ^ 藤屋とは - THE FUJIYA GOHONJIN
- ^ a b 藤屋旅館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 北野建設株式会社「文化財をコンバージョンする」
- ^ 伊能忠敬e資料館 - 第8次 測量日記第26巻 - 文化11年4月29日(1814年6月17日)
- ^ [1]渋沢栄一ゆかりの地 長野県 - 公共財団法人 渋沢栄一記念団
- ^ a b c 「350年の老舗旅館と善光寺の表参道に賑わいを取り戻す。」ザ・フジヤ・ゴホンジン - Plan・Do・See
- ^ 藤井奎子さんのお話 アート・トーク2011 - 善光寺表参道ギャラリーライン
- ^ 理念は「不易流行」。にぎわいのまちづくりの中核をめざす。 - 「月刊中小企業レポート」第410号、長野県中小企業団体中央会
- ^ 地域商業文化を創造する会 1月例会議事録 - 長野県異業種交流グループ
- ^ 長野市立博物館 (2023). 善光寺宿本陣藤井家文書. 長野市: 長野市立博物館. pp. 19
- ^ 善光寺七福神巡り - ながの観光コンベンションビューロー