藤井正男
表示
藤井 正男 ふじい まさお | |
---|---|
生年月日 | 1906年3月19日 |
没年月日 | 1995年6月12日(89歳没) |
出身校 | 明治大学法学部 |
所属政党 |
(国民協同党[1]→) 無所属 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年4月 - 1955年4月 |
選挙区 | 広島県全県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年7月4日 - 1947年 |
藤井 正男(ふじい まさお、1906年(明治39年)3月19日[2] - 1995年(平成7年)6月12日[2])は、日本の政治家。第6代福山市長(2期)、衆議院議員(1期)。
略歴
[編集]1931年、明治大学法学部卒業。福山市会議員を務めた後、1946年4月10日に行われた第22回衆議院議員総選挙に立候補。落選するも、当選者の渡辺忠雄が公職追放を受け6月22日に辞職。7月4日に繰上補充で衆議院議員となった。
1947年3月19日、公職追放により小林和一福山市長が辞職。かくして、新しく公布される地方自治法に準拠して初代公選市長の選挙が4月5日に行われることとなった。市長選は、市当局の立案した都市計画に反対する藤井と、都市計画遂行を主張する弁護士の徳永豊との一騎打ちとなった。投票の結果、藤井13,165票、徳永10,143票で初当選した[1]。
1949年9月18日、戦後初の競馬場である福山競馬場を開設した。1951年に再選するも、1955年の市長選で徳永豊に敗れる[3]。
1960年2月1日、市内佐波町に福山電波工業専門学校(現在の近畿大学附属広島高等学校・中学校福山校)を創立。4月1日には学校法人藤井学園を設立した[4]。
脚注
[編集]- ^ a b 福山市史編纂会編 『福山市史 下』 国書刊行会、1983年10月30日、972-973ページ。
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、347頁。
- ^ 誠之館人物誌 「徳永豊」 弁護士、福山市長、画家
- ^ 畿大学附属広島高等学校・中学校 福山校_沿革
参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長: 市制施行百年の歩み, 第3巻』(歴代知事編纂会)