草垣 (海防艦)
草垣 | |
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基本情報 | |
建造所 | 日本鋼管鶴見造船所 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 海防艦 |
級名 | 御蔵型海防艦 |
建造費 | 5,112,000円(予算成立時の価格)[注 1] |
艦歴 | |
計画 | マル急計画 |
起工 | 1943年9月7日 |
進水 | 1944年1月22日 |
竣工 | 1944年5月31日 |
最期 | 1944年8月7日被雷沈没 |
除籍 | 1944年10月10日 |
要目(竣工時) | |
基準排水量 | 940トン |
全長 | 78.77m |
最大幅 | 9.10m |
吃水 | 3.05m |
主機 | 艦本式22号10型ディーゼル2基 |
推進 | 2軸 |
出力 | 4,200hp |
速力 | 19.5ノット |
燃料 | 重油 120トン |
航続距離 | 16ノットで5,000カイリ |
乗員 | 定員149名[注 2] |
兵装 |
45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基 25mm機銃 連装2基 九四式爆雷投射機2基 爆雷120個 単艦式大掃海具1組 |
搭載艇 | 短艇3隻 |
レーダー | 22号電探1基 |
ソナー |
九三式水中聴音機1基 九三式水中探信儀1基 |
草垣(くさがき)は[1]、日本海軍の海防艦[2]。艦名は鹿児島県の草垣郡島にちなむ。
概要
[編集]草垣(くさがき)は、日本海軍が太平洋戦争で運用した海防艦で、御蔵型海防艦の8番艦[3][4]。日本鋼管鶴見造船所で建造され、1944年(昭和19年)5月31日に竣工した[5]。 呉防備戦隊で訓練をおこなったあと、7月1日付で第一海上護衛隊に編入された[6][7]。北九州門司からフィリピンに向かう船団の護衛が、草垣の初任務であった[8][9]。7月下旬、ヒ68船団を護衛してマニラを出発し、台湾高雄市で分離した[10]。 同時期に敵潜水艦掃蕩隊が新編されると[11]、海防艦2隻(草垣、松輪)は第三掃蕩小隊に所属した[12]。 その後、草垣と松輪はミ13船団の護衛に加わる(門司発、高雄経由、ミリ行き)[13]。 同船団を護衛中の8月7日、草垣は[14][15]、マニラ西方で[16]、アメリカ軍潜水艦ギターロの魚雷攻撃により沈没した[2]。
艦歴
[編集]竣工まで
[編集]マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の25番艦[注 3]、仮称艦名第334号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型の基本計画(基本計画番号E20)が決定したため、それに従って建造されることとなった。当初は第322号艦型となっていたが、後に予定を繰り上げて第320号艦を第1艦とした第320号艦型に改められた。
1943年(昭和18年)9月7日、日本鋼管鶴見造船所で起工。 同年10月1日、草垣と命名される[1]。同日附で命名された各艦は艦艇類別等級に登録され、草垣は御蔵型海防艦に類別された[4]。
1944年(昭和19年)1月22日、草垣は進水した。3月1日、第六五三海軍航空隊通信長の尾崎隆少佐は、草垣艤装員長に任命される[17]。 3月15日、鶴見造船所に設置された草垣艤装員事務所は、事務を開始する[18]。 5月31日、草垣は竣工した[19]。尾崎少佐は草垣海防艦長となった[20]。同日附で、艤装員事務所を撤去する[21]。 本籍を舞鶴鎮守府と定められる[22][23]。3隻(草垣、第二十六号海防艦、第二十八号海防艦)は警備海防艦に指定された[23]。各艦は呉防備戦隊に編入される[24]。
竣工後
[編集]1944年(昭和19年)5月31日の竣工後、草垣は呉鎮守府麾下の呉防備戦隊に所属し[19]、対潜訓練に従事した[25]。6月5日、占守型海防艦と御蔵型海防艦の類別が変更され、草垣のまえに御蔵型海防艦として日振と大東が追加された[26]。 7月1日[2]、草垣は呉防備戦隊から除かれる[27][28]。海上護衛総司令部隷下の第一海上護衛隊に編入された[7][28]。当時の草垣乗員数は、合計170名であった[29]。
7月6日、モマ02船団の加入船舶15隻を、草垣、第一号海防艦、第二十二号海防艦、第34号掃海艇、駆逐艦初霜[注 4]で護衛し、北九州門司を出撃した[8]。7月13日、モマ02船団部隊は台湾高雄市に到着した[8]。
7月14日、タマ21C船団の加入船舶20隻(一部資料では21隻)[31]を、草垣ふくめ護衛艦艇7隻(一部資料では8隻)[31]で護衛し[注 5]、フィリピンにむけて高雄市を出発した[9]。この船団部隊を、アメリカ軍潜水艦4隻(ピラーニャ、ガードフィッシュ、スレッシャー、アポゴン)から成るウルフパックが襲撃した。 しあとる丸[31][32]、西寧丸、祥山丸、仁山丸、満泰丸、日山丸が沈没する[9][33]。救難のため、マニラより駆逐艦春風と海防艦御蔵が出撃し、タマ21C船団部隊に合流した[34]。 19日、タマ21C船団部隊はルソン島のマニラに到着した[9]。
7月20日、内地からシンガポールに向かうヒ69船団部隊と[35][注 6]、シンガポールから内地へ戻るヒ68船団部隊が[41]、同日中にマニラに到着した[42][10][注 7]。 2つの船団部隊の編成替がおこなわれ、空母2隻(大鷹、海鷹)などがヒ69船団から除かれる[45]。草垣はヒ68船団部隊に編入される[10][注 8]。
7月23日、第八護衛船団司令部(司令官佐藤勉少将[49]、旗艦「平戸」)[50]が率いるヒ68船団部隊(護衛隊〈平戸、倉橋、草垣、御蔵、第十一号海防艦、第二十号海防艦、水雷艇鵯〉、空母大鷹を含む加入船舶14隻)[注 9]はマニラを出発した[10][52]。 26日、アメリカ軍潜水艦3隻(アングラー、フラッシャー、クレヴァル)のウルフパックは、ヒ68船団部隊を襲撃する。 東山丸[53]、 安芸丸[54]、 大鳥山丸が沈没[33][55]。特設運送艦聖川丸が損傷した[56]。草垣は東山丸の、御蔵は聖川丸の、監視もしくは護衛を命じられた[57]。 27日、ヒ68船団部隊は台湾高雄に寄港した[10][58]。ここで草垣はヒ68船団部隊から除かれた[注 10]。
この頃、ルソン海峡の敵潜水艦撃滅をめざして「敵潜水艦掃蕩隊」が編成され[11]、尾崎少佐(草垣艦長)は第三掃蕩小隊(草垣、松輪)を指揮することになった[12]。 8月4日、ミ13船団部隊(7月24日門司発[60]。護衛艦艇〈草垣、松輪、屋代、朝風、第38号哨戒艇、第18号掃海艇など〉、加入船舶約20隻)はボルネオ島西部のミリをめざして高雄市を出発した[15][13]。8月7日朝、ミ13船団部隊に対し北緯16度27分 東経117度18分 / 北緯16.450度 東経117.300度地点で敵潜水艦の襲撃があり[注 11]、護衛艦艇は対潜掃蕩をおこなう[13]。すると、今度はアメリカ軍潜水艦ギターロがミ13船団部隊を襲ってきた[注 12]。 同日22時05分、ギターロの雷撃により[19]、草垣に魚雷複数本が命中[16]。北緯14度50分 東経119度57.5分 / 北緯14.833度 東経119.9583度地点で沈没した[63]。戦死者97名[64]。 第三掃蕩小隊は佐渡艦長指揮下の海防艦4隻(択捉、松輪、佐渡、日振)で再編された[65][注 13]。
草垣と日振[注 14]は10月10日をもって、御蔵型海防艦[69]、 帝国海防艦籍[70]のそれぞれから除籍された。
草垣海防艦長の尾崎少佐は横須賀鎮守府付となった後[71]、9月25日付で敷設艦八重山艦長を命じられたが[72]、同艦は9月24日に空襲で沈没したため[73]、第三南遣艦隊司令部付となった[74]。その後、尾崎少佐は10月10日付で敷設艦初鷹艦長となった[75]。
艦長
[編集]- 艤装員長
- 海防艦長/艦長
出典
[編集]注
[編集]- ^ これは第310号艦型の価格であり、基本計画番号E20としての価格ではない。
- ^ この数字は法令上の定員数であり、特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
- ^ マル急計画の当初計画での番数。
- ^ 第21駆逐隊所属3隻のうち若葉と初春は横須賀鎮守府司令長官の指揮下で小笠原方面作戦に従事、初霜は第一海上護衛隊司令官の作戦指揮下にあった[30]。8月5日、第21駆逐隊は第一水雷戦隊に編入されたが、引き続き船団護衛任務に従事した[30]。
- ^ 第1号海防艦、22号、草垣、第34号掃海艇、前島、円島、第61号駆潜艇。
- ^ ヒ69船団部隊の指揮官は第五護衛船団司令官吉冨説三少将で、空母神鷹[36]および練習巡洋艦香椎(船団部隊旗艦)[37]、海防艦佐渡、千振、第七号海防艦、第十七号海防艦〈潜水艦雷撃で小破、高雄回航〉[38]、加入船舶14隻。空母大鷹と海鷹は第一航空艦隊向けの航空機を満載しており[39]、加入船舶として扱われる[40]。
- ^ ヒ68船団を護衛していた海防艦倉橋は、アメリカ軍潜水艦フラッシャーに撃沈された軽巡洋艦大井(駆逐艦敷波と共にマニラ発、シンガポール行き)[43]救難のため、一時的に分離していた[34][44]。
- ^ ヒ69船団部隊は第十三号海防艦と第十九号海防艦を加え[46]、7月25日にマニラを出発した[47]。7月31日、シンガポールに到着した[48]。
- ^ ヒ68船舶の内訳[51]。摩耶山丸、大鳥山丸、第二日南丸、辰馬丸、日昌丸、東山丸、香椎丸、安芸丸、東邦丸、厳島丸、東亜丸、神鳳丸、聖川丸、大鷹。他に玉津丸。
- ^ ヒ68船団部隊は8月初旬に六連に戻った[59]。
- ^ アメリカ軍潜水艦レイトンはミ13船団部隊に対し魚雷6本を発射したが、命中しなかった。
- ^ ギターロは1944年(昭和19年)6月2日に[61]、ヒ65船団を護衛していた御蔵型海防艦3番艦の淡路を撃沈している[62]。
- ^ 8月16日付で再編された第三掃蕩小隊はヒ71船団を護衛中に択捉をのぞいて壊滅し[66]、8月24日付で解隊された[12]。
- ^ 海防艦日振は日振型海防艦に分類されることもあるが[67]、日本海軍の法令上は御蔵型に類別されている[26]。日振はヒ71船団を護衛中の8月22日[59]、マニラ湾においてアメリカ軍潜水艦ハーダーに撃沈された[68]。
脚注
[編集]- ^ a b #達昭和18年10月(1) pp.1-2〔 達第二百三十五號 昭和十七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦二隻、海防艦一隻、掃海艇二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十八年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 冬月(フユツキ)/川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十三潜水艦/三井造船株式會社ニ於テ建造 呂號第五十潜水艦/日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 草垣(クサガキ)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第三十八號掃海艇 第四十一號掃海艇/函館船渠株式會社ニ於テ建造 第五十五號驅潜艇 〕
- ^ a b c 海防艦激闘記 2017, pp. 232–233草垣(くさがき)
- ^ 海防艦激闘記 2017, pp. 84–86兵装を大きく改めた御蔵型
- ^ a b #内令昭和18年10月(1) p.1〔 内令第二千二十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 海軍大臣 嶋田繁太郎 驅逐艦、一等秋月型ノ項中「霜月」ノ下ニ「、冬月」ヲ加フ/潜水艦、一等伊十型ノ項中「伊號第十二」ノ下ニ「、伊號第十三」ヲ加フ/同二等呂三十五型ノ項中「呂號第四十九」ノ下ニ「、呂號第五十」ヲ加フ/海防艦、御藏型ノ項中「千振」ノ下ニ「、草垣」ヲ加フ/掃海艇、第十九号型ノ項中「第三十三號」ノ下ニ「、第三十八號、第四十一號」ヲ加フ/驅潜艇、第十四號型ノ項中「第五十四號、」ノ下ニ「第五十五號、」ヲ加フ 〕
- ^ 写真日本の軍艦(7)重巡(III) 1990, p. 234a海防艦『占守型・擇捉型・御蔵型・鵜来型』行動年表 ◇草垣(くさがき)◇
- ^ #S18.11海護総司令部(3) p.50(作戦経過概要、昭和19年7月1日項)〔 海防艦草垣第一海上護衛隊ニ編入セラル 聯合艦隊司令長官ノ指揮下ニ派遣中ノ旗風及汐風ヲ夫々原隊ニ復歸セシム 〕
- ^ a b #S19.06第1海上護衛隊(2) pp.3-4〔 (二)我軍ノ状況 イ 編成関係/七月一日|鵯 巨済 由利島 當隊作戰指揮下ニ入ル 草垣編入 汐風六月十八日以後聯合艦隊司令長官作戰指揮下ニ行動中ノ處復皈 〕
- ^ a b c #S19.06第1海上護衛隊(2) p.29〔 別表第三 舩団護衛状況(台湾航路)昭和十九年七月 第一海上護衛隊 〕
- ^ a b c d #S19.06第1海上護衛隊(2) p.33〔 別表第七 舩団護衛状況(菲島北航路)昭和十九年七月 第一海上護衛隊 〕
- ^ a b c d e #S19.06第1海上護衛隊(2) p.28〔 別表第二 舩団護衛状況(馬來直航々路)昭和十九年七月 第一海上護衛隊 〕
- ^ a b #経過概要(S19.07.21~31) p.33(19-7)〔 31| |敵(潜水艦)掃蕩隊編成 CD×6 対(潜水艦)(飛行機)集中(約80機)協力?|菲蘭|「ルソン」海峡方面敵(潜水艦)跳梁始メテ以来 未ダ所期ノ成果ヲ挙ゲルニ至ラズ 〕
- ^ a b c 戦史叢書46 1971, pp. 354–355護衛強化と掃蕩隊の編成
- ^ a b c #S19.08第1海上護衛隊(1) p.52〔 別表第九 舩団護衛状況(門司ミリ間)昭和十九年八月 第一海上護衛隊 〕
- ^ #S18.11海護総司令部(4) p.56(作戦経過概要、昭和19年8月7日項)〔 海防艦草垣ミ一三船團護衛中二二〇〇北緯一四度四五分東經一二〇度〇分ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ沈没 〕
- ^ a b #S19.08第1海上護衛隊(1) pp.19-21(昭和19年8月)〔 (四)麾下艦舩部隊ノ行動(其ノ一) 〕
- ^ a b #護衛対潜(S19.08) p.2(19-8)〔 7|2205|CD草垣マニラ西方敵(潜水艦)(魚雷)×4 沈没 高雄→マニラ 〕
- ^ a b 「昭和19年3月1日(発令3月1日)海軍辞令公報(部内限)第1351号 p.36」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300
- ^ 「海軍公報(部内限)2/3 昭和19年度(3月~4月)(防衛省防衛研究所)3月(7)/海軍公報(部内限)第四千六百四十六號 昭和十九年三月二十二日(水)海軍大臣官房 」 アジア歴史資料センター Ref.C12070465600 p.34〔 ○事務開始 海防艦草垣艤装員事務所ハ三月十五日横濱市鶴見區辯天町日本鋼管鶴見造船所内ニ於テ事務ヲ開始セリ|第六五二海軍航空隊ハ三月十六日岩國航空基地ニ於テ事務ヲ開始セリ 〕
- ^ a b c 写真日本の軍艦(7)重巡(III) 1990, p. 234b◇草垣◇
- ^ a b c 「昭和19年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1497号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099400
- ^ 「海軍公報(部内限)3/3 昭和19年度(5月~6月)(防衛省防衛研究所)6月(1)/海軍公報(部内限)第四千七百八號 昭和十九年六月七日(水)海軍大臣官房 」 アジア歴史資料センター Ref.C12070468200 p.28〔 ○事務所撤去 驅逐艦冬月艤装員事務所ハ五月二十五日之ヲ撤去セリ|伊號第十二潜水艦艤装員事務所(工藤部隊)ハ五月二十五日之ヲ撤去セリ|第百四號輸送艦艤装員事務所ハ五月二十五日之ヲ撤去セリ|草垣海防艦艤装員事務所ハ五月三十一日之ヲ撤去セリ|沼津海軍工作學校(假稱)設立準備事務所ハ六月一日之ヲ撤去セリ 〕
- ^ #S19.05舞鎮日誌 p.34〔 〃(卅一日)〇一一一大臣|〃(卅一日)〇四三〇舞鎭長官|官房機密第〇一〇一一番電 三十一日附 草垣ノ本籍ヲ舞鎭ト定メラレ警備海防艦ト定メラル|〃(無電) 〕
- ^ a b #内令昭和19年5月(2) pp.35-36〔 内令第七百十七號 海防艦 草垣 第二十六號海防艦 第二十八號海防艦 右本籍ヲ舞鶴鎭守府ト定メラル|舞鶴鎭守府在籍 海防艦 草垣 第二十六號海防艦 第二十八號海防艦 右警備海防艦ト定メラル|第五十五號驅潜艇 右本籍ヲ呉鎭守府ト定メラル|呉鎭守府在籍 第五十五號驅潜艇 右警備驅潜艇ト定メラル 昭和十九年五月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕
- ^ #S19.04呉鎮日誌(2) pp.39-40(昭和19年5月、経過概要)〔 三〇|晴 二四,二 一〇|海防艦草垣、第二十六號海防艦、第二十八號海防艦、第五十五號驅潜艇ヲ呉防戰ニ編入|(以下空欄) 〕
- ^ #S19.04呉鎮日誌(3) p.8(昭和19年6月)〔 (二)麾下艦船(特設ヲ含ム)ノ行動 〕
- ^ a b #内令昭和19年6月 pp.6-7〔 内令第七百三十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年六月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 驅逐艦、一等松型ノ項中「桑」ノ下ニ「、杉、槇、樅」ヲ加フ/潜水艦、一等三百六十一型ノ項中「伊號三百七十一」ノ下ニ「、伊號第三百七十二」ヲ、同伊四百型ノ項中「、伊號第四百二」ノ下ニ「、伊號第四百四」ヲ加フ/海防艦ノ部中占守型及御藏型ノ項ヲ左ノ如ク改ム |占守型|占守、國後、八丈、石垣、擇捉、松輪、佐渡、隠岐、壹岐、對馬、平戸、福江、天草、滿珠、干珠、笠戸|/|御藏型|御藏、三宅、淡路、能美、倉橋、屋代、千振、日振、大東、草垣、昭南|/|鵜來型|鵜來、沖繩、奄美、粟國|(以下略) 〕
- ^ #S19.04呉鎮日誌(4) p.46(昭和19年7月、作戦経過概要)〔 一|(天候略)|一、第三十四號掃海艇及海防艦草垣ヲ呉防戰ヨリ除ク/二、GEB電令作第二〇二號ニ依リ由利島ハ一海護司令官ノ指揮下ニ入ル|(以下略) 〕
- ^ a b #S18.12呉防戦日誌(7) p.4((二)當隊ノ状況より抜粋)〔 1/7附草垣 一海護ニ轉出 〕
- ^ #S19.06第1海上護衛隊(2) p.24〔 (二)麾下總員数|(艦艇名)草垣|(士官)六|(特准)七|(下士官)五三|(兵)一〇四|(其ノ他)(空欄)|(合計)一七〇|(記事)(空欄)| 〕
- ^ a b 戦史叢書37 1970, p. 372.
- ^ a b c #経過概要(S19.07.07~20) p.36(19-7)〔 16| |高雄ヨリ「マニラ」ヘ向ヘル船團(護衛艦8輸送船21)ハ「ルソン」島北方ニテ敵(潜水艦)ノ襲撃ヲ受ク|比蘭|1030しやとる丸(A貨客5773t部隊4300名)沈没尚状況不明ナルモ々船団中夜半更ニ 一隻撃沈セラレタル模様ナリ 〕
- ^ #護衛対潜(S19.07) p.5(昭和19年7月16日項)
- ^ a b #S19.06第1海上護衛隊(2) p.27〔 別表第一 舩団護衛状況統計表 昭和十九年七月 第一海上護衛隊司令部 〕
- ^ a b #S19.06第1海上護衛隊(2) pp.15-17(昭和19年7月)〔 (四)麾下艦舩部隊ノ行動(其ノ一) 〕
- ^ #S18.11海護総司令部(3) p.53(作戦経過概要、7月13日項)〔 「ヒ六九」船團(第五護衛船團〈旗艦〉香椎、神鷹其他)一六〇〇六連發 大鷹、海鷹輸送任務ヲ帶ビ「マニラ」迄右船團ト同行 〕
- ^ 戦史叢書46 1971, pp. 380–381神鷹(旧獨商船シャルンホルスト号)/(一)ヒ六九船団
- ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 551.
- ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 558–559ヒ69船団とヒ70船団(七~九月)
- ^ 戦史叢書37 1970, pp. 168–169飛行機在
- ^ 日本空母戦史 1977, pp. 689–692第一航空艦隊への飛行機輸送(七月)
- ^ #S18.11海護総司令部(3) p.53(作戦経過概要、7月14日項)〔 「ヒ六八」船團部隊(〈旗艦〉平戸)〇七三〇「マニラ」經由門司ニ向ケ昭南發 〕、#S19.06聖川丸(2) p.6(作戦経過概要、7月14日)〔 〇七二五「マニラ」ニ向ケ昭南発|(ヒ六八船団ニ加入) 〕
- ^ #S18.11海護総司令部(3) p.55(作戦経過概要、7月20日項)〔 「ヒ六九」船團二一〇〇「マニラ」着/「ヒ六八」船團一三〇〇「マニラ」着|(以下略) 〕、#S19.06聖川丸(2) p.7(作戦経過概要、7月20日)〔 〇七四五観測機対潜哨戒始ム/一三〇〇「マニラ」入港 〕、同艦戦時日誌 p.16〔 二〇日一三〇〇第八護衛船団司令官|二一日〇〇一五 高雄警備府長官 1KEgマニラ方面司令官 1KEg西方司令官|機密第二〇一三〇〇番電 ヒ六八船團(倉橋欠)マニラ着 一三〇〇|無線 〕
- ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 529–531.
- ^ #経過概要(S19.07.07~20) p.43(19-7)〔 19|2127|軍艦大井(護衛艦敷波)ハ「マニラ」西方海面ニ於テ敵(潜水艦)ノ雷撃一本(雷跡2)ヲ受ク|比蘭 16S/GKF|後機満水航行不能トナリ應急作業ニ努メタルモ荒天(風速15m)ノ為作業意ノ如クナラズ1735沈没セリ 〕
- ^ 日本空母戦史 1977, p. 691.
- ^ 戦史叢書46 1971, p. 381.
- ^ #S18.11海護総司令部(3) p.56(作戦経過概要、7月25日項)〔 「ヒ六九」船團部隊昭南ニ向ケ〇五三〇「マニラ」發|(以下略) 〕
- ^ 日本空母戦史 1977, p. 692.
- ^ 戦史叢書46 1971, pp. 321–322特設船団司令部の設置
- ^ #S19.06聖川丸(2) pp.15-16〔 二〇日〇九一四 白鷹 護衛隊司令官|二〇日〇九一五 各艦(船)長|タナ三五 信令二四 一、本日一二〇〇後ニ於テ旗艦ヲ一時平戸ニ変更ス、白鷹、平戸ハコレヒドール島北東ニ假泊スベシ、変更ノ際ノ儀礼ハ特ニ行ハス/二、白鷹ハ右終了後高雄ニ先航補給ノ上當船團ニ合同スベシ、合同ニ関シテハ後令ス|信号 〕、同艦戦時日誌 p.18〔 二三日一八三八 (旗艦)平戸司令官|二三日一八四〇 各艦(船)長|信令第三一號 今夜警戒碇泊トナセ|信号 〕
- ^ #S19.06聖川丸(2) pp.17-18〔 二三日二〇〇一 第八護衛船団司令官|(宛略)|機密第二三二〇〇一番電 マニラ集管機密第二二一九四七番電關聯ヒ六八船団ノ行動予定ヲ一日繰下グ 一、護衛艦 平戸(旗艦)倉橋 草垣 御藏 鵯 海十一 海二十 以上七隻/二、加入船A船摩耶丸(VKQ)便乗者一〇七名 大鳥山丸(GSP)航揮 第二日南丸(ETT)航揮 辰馬丸(CBT)便乗者二〇〇名 日正丸(IPN)便乗者一一〇名俘虜一五五〇名 東山丸(FAM便乗者一一〇名 香椎丸(HOT) 安藝丸(GMR) 東邦丸(QTT) 重油石油B船 嚴島丸(YQL) 東亜丸(BAV) 航揮 重油シユオウ丸(WET) 航揮海特 聖川丸(NZL)便乗者三五〇名ボーキサイト重油 大鷹 以上一四隻|無線 〕
- ^ #S18.11海護総司令部(3) p.55(作戦経過概要、7月23日項)〔 「ヒ六八」船團〇六〇〇門司ニ向ケ「マニラ」發|(以下略) 〕、#S19.06聖川丸(2) p.7(作戦経過概要、7月23日)〔 〇六二〇「高雄」ニ向ケ「マニラ」発/〇八四〇港口ニ假泊 〕
- ^ #経過概要(S19.07.21~31) p.19(19-7)〔 26| |東山丸(C貨8666t部隊110名乗船)ハ「ルソン」島NWニテ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|菲蘭 民|炎上 〕
- ^ #経過概要(S19.07.21~31) p.20(19-7)〔 26|0543|安藝丸(A貨114096t空船)「ルソン」島NWニ於テ被害ヲ受ク|菲蘭 陸|詳細不明 〕
- ^ #護衛対潜(S19.07) p.8(昭和19年7月26日項)
- ^ #S19.06聖川丸(2) p.8(作戦経過概要、7月26日~27日記事)
- ^ #S19.06聖川丸(2) p.19〔 二十六日〇八五二 第八護衛船団司令部|二六日一一二五 御藏 草垣(1KEg司令部)|機密第二六〇八五二番電 一、草垣ハ東山丸ノ監視ニ任ゼヨ/二、御藏ハ損傷艦聖川丸(〇八〇〇ノ位置N一八度五〇分E一一八度一〇分速力七節)ヲ護衛高雄ニ回航セヨ|無線 〕
- ^ #S19.06聖川丸(2) p.10(聖川丸、七月行動圖)
- ^ a b #S19.06第1海上護衛隊(2) p.45〔 別表第二 舩団護衛状況(馬來直航々路)昭和十九年八月 第一海上護衛隊司令部 〕
- ^ #S19.06第1海上護衛隊(2) p.35〔 別表第九 舩団護衛状況(門司ミリ間)昭和十九年七月 第一海上護衛隊司令部 〕
- ^ #S18.11海護総司令部(3) p.32(作戦経過概要、昭和19年6月2日項)〔 海防艦淡路「ヒ六五」船團護衛航行中〇二四五火焼島ノ三二〇度五浬ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ沈没 〕
- ^ 海防艦激闘記 2017, p. 231淡路(あわじ)
- ^ #S19.08第1海上護衛隊(1) p.6〔 (ロ)草垣 ミ一三船團(八月四日高雄発「マニラ」行)掃蕩隊トシテ航行中八月七日二二〇五北緯一四度五〇分東経一一九度五七.五分ニ於テ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ沈没セリ 〕
- ^ 日本海防艦戦史 1994, p. 288付表二 海防艦喪失一覧表/草垣
- ^ 日本海防艦戦史 1994, p. 72.
- ^ 戦史叢書46 1971, pp. 384–385ヒ七一船団の被害
- ^ 海防艦激闘記 2017, p. 233日振(ひぶり)
- ^ 写真日本の軍艦(7)重巡(III) 1990, p. 234c◇日振◇
- ^ #内令(秘)昭和19年10月(2) p.35〔 内令第一一五九號 艦艇類別等級別表中次ノ通改正ス 昭和十九年十月十日 海軍大臣
軍艦、巡洋艦二等長良型ノ項中「長良、」「、名取」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「大鷹、」ヲ、同敷設艦ノ部中「、白鷹」ヲ削ル
驅逐艦、一等神風型ノ項中「、朝風」「、夕凪」ヲ、同初雪型ノ項中「、敷波」ヲ、同白露型ノ項中「、五月雨」ヲ、同松型ノ項中「松、」ヲ削ル
潜水艦、一等伊十型ノ項中「、伊號第十」ヲ、同伊十七型ノ項中「、伊號第二十九」ヲ、伊十六型ノ項中「伊號第十六、」ヲ、同伊五十二型ノ項中「、伊號第五十五」ヲ、同二等呂三十五型ノ項中「、呂號第四十八」ヲ、同二等呂三十五型ノ項中「、呂號第四十八」ヲ、同呂五百型ノ項中「、呂號第五百一」ヲ削ル
海防艦、占守型ノ項中「、松輪、佐渡」ヲ、同御藏型ノ項中「、日振」「、草垣」ヲ削ル
輸送艦、一等第一號型ノ項中「第二號、」ヲ、同二等第百一號型ノ項中「、第百二十九號」「、第百三十三號」「、第百五十二號」ヲ削ル
掃海艇、第十九號型ノ項中「、第二十八號」ヲ削ル
驅潜艇、第一號型ノ項中「、第六號」ヲ削ル 〕 - ^ #内令(秘)昭和19年10月(2) pp.36-37〔 内令第一一六五號 呉鎭守府在籍 軍艦 白鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 大鷹|舞鶴鎭守府在籍 軍艦 長良 軍艦 名取 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎭守府在籍 驅逐艦 朝風 驅逐艦 五月雨|呉鎭守府在籍 驅逐艦 敷波|佐世保鎭守府在籍 驅逐艦 夕凪|舞鶴鎭守府在籍 驅逐艦 松 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎭守府在籍 伊號第十六潜水艦 呂號第五百一潜水艦|呉鎭守府在籍 伊號第二十九潜水艦 伊號第五十五潜水艦|佐世保鎭守府在籍 伊號第十潜水艦|舞鶴鎭守府在籍 呂號第四十八潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|佐世保鎭守府在籍 海防艦 松輪 海防艦 佐渡 海防艦 日振|舞鶴鎭守府在籍 海防艦 草垣 右帝國海防艦籍ヨリ除カル|横須賀鎭守府在籍 第二號輸送艦|呉鎭守府在籍 第百五十二號輸送艦|佐世保鎭守府在籍 第百二十九號輸送艦 第百三十三號輸送艦 右帝國輸送艦籍ヨリ除カル|横須賀鎭守府在籍 第二十八號掃海艇 右帝國掃海艇籍ヨリ除カル|佐世保鎭守府在籍 第六號掃海艇 右帝國掃海艇籍ヨリ除カル|佐世保鎭守府在籍 特務艦 速吸|舞鶴鎭守府在籍 特務艦 鶴見 右帝國特務艦籍ヨリ除カル|昭和十九年十月十日 海軍大臣 〕
- ^ a b 「昭和19年8月18日(発令8月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1567号 p.14」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100600
- ^ 「昭和19年9月28日(発令9月25日付)海軍辞令公報(甲)第1604号 p.38」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101000
- ^ 戦史叢書37 1970, p. 501.
- ^ 「昭和19年10月1日(発令9月28日付)海軍辞令公報(甲)第1607号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101400
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参考文献
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- 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年3月。
- 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0。
- 隈部五夫ほか『海防艦激闘記 護衛艦艇の切り札として登場した精鋭たちの発達変遷の全貌と苛烈なる戦場の実相』潮書房光人社、2017年1月。ISBN 978-4-7698-1635-5。
- (77-88頁)艦艇研究家杉田勇一郎『占守型に始まった甲型エスコート艦列伝 戦争後期の苛烈な戦局に投入された急造護衛艦全タイプの実像』
- (223-243頁)戦史研究家伊達久『日本海軍甲型海防艦戦歴一覧 占守型四隻、択捉型十四隻、御蔵型八隻、日振型九隻、鵜来型ニ十隻の航跡』
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<1> 臺灣沖航空戦まで』 第37巻、朝雲新聞社、1970年8月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』 第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。
- 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 重巡Ⅲ 最上・三隈・鈴谷・熊野・利根・筑摩・海防艦』 第7巻、光人社、1990年2月。ISBN 4-7698-0457-1。
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- Gardiner, Robert (toim.): Conway's All the World's Fighting Ships 1947–1995. Lontoo, Englanti: Conway Maritime Press, 1995. ISBN 0-85177-605-1. (englanniksi)
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