綾小路有良
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綾小路有良 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 嘉永2年5月20日[1](1849年7月9日) |
死没 | 明治40年(1907年)6月16日[1] |
主君 | 孝明天皇→明治天皇 |
氏族 | 綾小路家 |
父母 | 父:綾小路俊賢、母:櫛笥従子(櫛笥隆起の娘) |
兄弟 | 有良、幹、瀧子 |
妻 |
先室:八愛子(分部光寧の二女) 後室:益(竹屋光有の二女) |
子 | 養子:茂俊 |
綾小路 有良(あやのこうじ ありかず)は、幕末の公家、明治期の雅楽家・華族。子爵。
経歴
[編集]山城国京都で、侍従・綾小路俊賢の長男として生まれる[1][2]。安政5年11月7日(1858年12月11日)元服して昇殿を許され従五位上に叙せられた[3]。文久2年12月7日(1863年1月26日)侍従に任じられ孝明天皇、明治天皇に仕える[3][4]。左近衛権少将、侍従、兼雅楽助、神楽御人数、兼次侍従・雅楽助、式部寮御用掛、侍従、兼大伶人などを歴任し、1873年9月27日に家督を相続した[1][3][5]。
1884年7月8日、子爵を叙爵[6]。1886年、御歌所参候となり、雅楽部長、式部職主事などを務め、1886年から歌会始で披講の発声を担当した[2][5][7]。三オクターブの声域があったと言われている[5]。
系譜
[編集]- 父:綾小路俊賢
- 母:綾小路従子(櫛笥隆起娘)[1][3]
- 先妻:綾小路八愛子(やえこ、分部光寧二女)[1]
- 後妻:綾小路益(ます、竹屋光有二女)[1]
- 妹:久松幹(久松定法継室)・金子瀧子(金子有卿妻)[1]
- 養子:綾小路茂俊 - 庭田重直の次男
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 平野健次編『日本音楽大事典』 平凡社、1989年。ISBN ISBN 978-4-582-10911-5
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 人事興信所編『人事興信録』〔初版〕、1903年。
- 『綾小路家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 綾小路家初代 1884年 - 1907年 |
次代 綾小路茂俊 |