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米津政矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
米津政矩
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝3年(1675年
死没 元禄16年1月15日1703年3月2日
改名 小大夫(幼名)、政矩
戒名 高嶽源水春光院
墓所 東京都東久留米市前沢の米津寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
武蔵久喜藩
氏族 米津氏
父母 米津政武
兄弟 政矩政容伊沢政周
大久保教寛正室、青木直宥正室
五島盛暢
政容
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米津 政矩(よねきつ まさのり)は、江戸時代前期から中期にかけての大名武蔵国久喜藩2代藩主。

略歴

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延宝3年(1675年)、初代藩主・米津政武の長男として誕生した。正室は五島盛暢娘。

元禄11年(1698年)11月11日、父の隠居により家督を継ぐ。大坂加番に任じられて大坂に赴任するが、在任中の元禄16年(1703年)1月15日、大坂で死去した。享年29。

跡を弟で養子の政容が継いだ。

墓所は東京都東久留米市米津寺内にある米津家大名墓所(東京都指定史跡)[1]

出典

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  1. ^ 特集 旧前沢村」(PDF)『くるめの文化財』平成18年10月第22号、東久留米市、2020年3月15日閲覧