米原汚水タンク殺人事件
米原汚水タンク殺人事件 | |
---|---|
場所 | 日本・滋賀県米原市の屎尿処理用タンク槽 |
標的 | 会社員の女性(当時28歳) |
日付 | 2009年(平成21年)6月10日 - 6月11日 (UTC+9) |
概要 | 男が女性に対して鈍器で殴打した後、屎尿処理用タンク槽に投げ込み、汚泥吸引により窒息死させた[1]。 |
攻撃手段 | 鈍器で殴打 |
攻撃側人数 | 1人 |
武器 | 鈍器 |
死亡者 | 1人 |
犯人 | 女性の勤務先の上司の男(事件当時40歳) |
容疑 | 殺人 |
動機 | 不明 |
対処 | 男を滋賀県警察刑事部捜査第一課と米原警察署が逮捕・大津地方検察庁が起訴[2][3] |
謝罪 | なし(容疑を否認) |
刑事訴訟 | 懲役17年(第一審判決・最高裁の上告棄却決定により確定[4][5]) |
管轄 |
米原汚水タンク殺人事件(まいばら おすいタンクさつじんじけん)とは、2009年6月に滋賀県米原市で発生した殺人事件。裁判員裁判の審理期間が約1ヶ月と当時としては異例の長期審理として注目された他、公判の一部が「公序良俗に反する恐れがある」として非公開になったことでも注目された[6][7][8]。
概要
[編集]2009年6月12日午前6時頃、滋賀県米原市伊吹の屎尿処理用タンク槽内から会社員の女性(当時28歳)の死体が汚泥を汲み取っていた作業員によって発見された[9]。被害者の女性は6月10日午後8時頃に退社する姿が目撃されたのを最後に消息不明になっていたため、家族が捜索願を提出していた[9]。
発見時、被害者は作業服姿で左後頭部が陥没骨折しており、頭部の他に顔にも鈍器で殴打された傷があった[9]。また、現場からは被害者の毛髪や化粧品、金槌と携帯電話が発見された[9][10]。
司法解剖の結果、死因はタンク内の汚泥を吸引したことによる窒息死で、死亡推定時刻は6月11日午後8時頃と判明した[9][11]。
被害者は普段、マイカーで通勤していたが、事件当日は通勤中に故障したため、母親に送迎してもらって出勤していた[12]。その後、マイカーを修理に出して午後8時頃に勤務先で目撃されたのを最後に行方が分からなくなっていた[13]。
捜査
[編集]滋賀県警察刑事部捜査第一課と米原警察署は殺人事件と断定して米原警察署に捜査本部を設置した[9]。現場の状況や屎尿処理用タンク槽の場所を知っている地元住民が少ないことから、土地勘のある人物が被害者に対して執拗な暴行を加えて瀕死状態にした後、屎尿処理用タンク槽内に投げ込んだと見て捜査を開始した[13][9]。併せて被害者の交友関係や携帯電話の履歴を調べたところ、被害者と同じ勤務先で交際を巡ってトラブルになっていた男が捜査線に浮上[14]。
2009年6月19日、米原警察署捜査本部は被害者の勤務先の上司の男(当時40歳)を殺人容疑で逮捕した[注 1][15][17]。被害者は男と交際をしていたが、男には妻子ある身だったため、不倫関係となっていた[17]。事件前には男の暴力に怯えていたため、被害者は「日常的に暴力を振るわれている。怖い」と同僚に相談していた[18]。
男は被害者が行方不明になる当日、午前中は出勤していたが、午後には半休を取って退社をしておりアリバイがなかった[注 2][20]。また、男は被害者の遺体が発見された翌日の13日に自家用車の修理を長浜市の自動車販売会社に依頼していたことが判明(15日に依頼を取りやめ)[15]。自家用車はフロントガラスとバックミラーが破損しており、車内には人が争った形跡があった[15]。
自家用車を調べたところ、車内から血痕が見つかり、被害者のDNAと一致[21]。また、被害者が退社してから消息不明になる直前に事件現場近くで男と会っていたことも判明した。
2009年7月9日、大津地検は男を殺人罪で起訴した[22]。男は逮捕当時から「まったく身に覚えがない。事件には関係がない」と全面否認をしていたが、大津地検は「客観的証拠は十分にある」として起訴に踏み切った[22][23]。
刑事裁判
[編集]第一審・大津地裁
[編集]公判前整理手続が行われ、争点が犯人性に絞られた[24]。また、弁護側は「供述調書は捜査側に都合よく作られる恐れがあり、本人が直接裁判員に語りかける」として供述調書を1枚も作成しなかったため、被告人が裁判員に直接証言する方式で公判を進めると明らかにした[25]。
2010年11月4日、大津地裁(坪井祐子裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、被告人は「公訴事実は違います。私は被害者を殺していません」と述べて起訴事実を全面否認、無罪を主張した[26]。冒頭陳述で検察側は2人の交際トラブル、被告人の自家用車の血痕及び車両に関する目撃証言など状況証拠を次々と挙げて「犯人だからこそ、としか考えられないウソを捜査段階などについた」と指摘した[26]。一方、弁護側は「事件前、仕事のいざこざで不安定になっていた被害者を、被告人は励ました。殺害の動機がない」などと述べて無罪を主張した[26]。
同日の公判では、被害者の司法解剖を行った医師の証人尋問が行われ、被害者の殴打された痕について「頭は20回以上、(防ごうとした)左右の手(の傷)を含めると30回以上」と証言[26]。また、遺体の状況から被害者が現場近くの草むら付近で殴打された後、タンクまで引きずられたと推察される、と述べた[26]。
2010年11月12日、午前中に被告人質問が行われたが、大津地裁は「公序良俗に反する恐れがある」として非公開にした[注 3][27]。
午後、被告人の自家用車の血痕を鑑定した鑑定人が証人として出廷し、左後輪内側のブレーキドラム2ヶ所に付着した血痕について、被告人が被害者が蹴って血痕が付着したという主張は「蹴って付いた可能性は考えにくい」と証言した[28]。一方で助手席シートなどに数ヶ所付着していた血痕について「被害者や私の鼻血など」とする被告人の主張については「矛盾しない」と述べた[28]。
2010年11月15日、被害者の友人2人に対する証人尋問が行われ、1人は被害者が「車内のシートに押し倒されたり、殴られたり、首を絞められたりしたと聞いた」と証言した[29]。もう1人は被害者が「浮気もんの頭ぶちぬかな治らんわ」と被告人を罵るメールを受信していたことも証言した[29]。
一方、被告人は被害者に対する暴力について「どうしてもヒステリックになってしまうので、なだめるのに体を押さえつけることもあった」と述べて被害者に対する暴力を否定した[29]。その上で「数時間か、長くても1日か2日で機嫌が直る」と説明した[29]。
2010年11月18日、被害者の妹と母親が証人出廷し、被告人が2008年末に被害者が父親と喧嘩をしたと述べたことについて「(喧嘩相手が)父親と出た時点でうそだと思いました」と指摘した[30]。その上で「なんで犯人が描くストーリーに翻弄されなければならないのか」と非難した[30]。
妹も「被告は言っていることがおかしい。姉は自分で主張するので、職場で数人に囲まれていじめられるわけがない。腹が立って聞いていられませんでした」と主張した[30]。また、母親は「犯人には極刑を望む以外はない。自白も反省もなくうそばかりついている。一生かけて罪を償ってほしいと思います」として被告人に死刑を求めた[30]。
2010年11月22日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「鈍器でめった打ちにするなど残忍極まりなく反省も皆無」として被告人に無期懲役を求刑した[31]。同日の最終弁論で弁護側は「殺害する動機はなく被告の行動には十分な合理性がある」として改めて無罪を主張して結審した[31]。
2010年12月2日、大津地裁(坪井祐子裁判長)で裁判員裁判の判決公判が開かれ「被告の供述は不自然・不合理で信用できない。弁護人の主張も抽象的で、(事実である)可能性は著しく低い」として懲役17年の判決を言い渡した[32][33]。判決では犯行時間帯に被告人と被害者が会っていたこと、殺害現場付近で被告人の自家用車に似た車両が目撃されたことなどを挙げて「被告が犯人であることは明らか」として被告人が犯人であると結論付けた[33]。
その上で量刑について「不合理な弁解を重ねた上に反省が見られず、責任は重い」としながら「計画性は認められず、無期懲役がふさわしいとは評価できない」として懲役17年が相当とした[34]。弁護側は判決を不服として即日控訴した[35]。
控訴審・大阪高裁
[編集]2011年10月7日、大阪高裁(古川博裁判長、松本芳希裁判長代読)は「車の血痕は殺害に至る一連の暴行で付着したと認められ、被告が犯人であると強く推認できる」として一審・大津地裁の判決を支持、控訴を棄却した[36][37]。弁護側は判決を不服として上告した[38]。
上告審・最高裁第三小法廷
[編集]2013年2月4日、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は上告を棄却する決定を出したため、懲役17年の判決が確定した[39]。
冤罪の主張
[編集]この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
遺体の状況からすると犯人が返り血を相当量浴びている可能性がきわめて高いにも関わらず、男が犯行後に座った運転席周辺から血液反応は一切出ていない。加えて、被害者は男の車の横で頭部を鈍器で乱打されたとされているにもかかわらず、車体から被害者の血液が検出されたのは、助手席と左後輪内側ブレーキドラムのみであった。公判で男は助手席の血痕は自分と被害者の鼻血や経血であり、ブレーキドラムの血痕は被害者がタイヤ交換をした際に付いたものであると主張したが、判決ではそれらの主張は退けられている[40]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 逮捕当日、男と被害者の勤務先は「被害者のご冥福を心から祈りたい。世間を騒がせたことをおわびします」と謝罪した[15][16]。
- ^ 男は逮捕前に産経新聞の取材を受けており、行方不明当日の被害者について「その日、出勤している姿はみた。会話はしていないから、わからない」と回答している[19]。
- ^ 日本国憲法第82条2項より「裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。」とされている。
出典
[編集]- ^ 『毎日新聞』2010年12月2日 大阪夕刊 政治面1頁「滋賀・米原の排水槽殺人:交際男に懲役17年 無罪主張は「不合理」--大津地裁判決」(毎日新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2009年6月20日 全国版 東京朝刊 2社38頁「タンク遺体 殺人容疑で交際男逮捕/滋賀・米原署」(読売新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2009年7月10日 全国版 大阪朝刊 2社34頁「米原の女性殺害 否認の容疑者起訴/大津地検」(読売新聞大阪本社)
- ^ 「米原・汚水タンク殺人、交際男に懲役17年 逮捕時から無罪主張」『MSN産経ニュース』2010年12月2日。オリジナルの2010年12月5日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2013年2月7日 全国版 大阪朝刊 3社31頁「米原殺人 判決確定へ」(読売新聞大阪本社)
- ^ 「米原女性殺害、選任手続き 1ヵ月長期裁判始まる」『京都新聞』2010年11月2日。オリジナルの2010年11月3日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「滋賀、交際女性殺害を否認 裁判員が長期審理」『共同通信』2010年11月4日。オリジナルの2010年11月7日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「公序良俗に反する恐れ…非公開で張り紙を掲示 米原タンク殺人裁判員裁判」『MSN産経ニュース』2010年11月12日。オリジナルの2010年11月15日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「変死体:排水槽内に女性の遺体 頭部に殴られた跡 滋賀」『毎日新聞』2009年6月12日。オリジナルの2009年6月21日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原の汚水タンク殺人、金づちと携帯電話を発見、凶器か」『MSN産経ニュース』2009年6月16日。オリジナルの2009年6月20日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「滋賀、瀕死状態で投げ込みか 米原の汚泥タンク女性殺人」『共同通信』2009年6月13日。オリジナルの2009年6月16日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原タンク殺人 だれかと待ち合わせか」『MSN産経ニュース』2009年6月13日。オリジナルの2009年6月16日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b 「米原の汚水タンク殺人、犯人は現場熟知か 10日の退社後にトラブル」『MSN産経ニュース』2009年6月15日。オリジナルの2009年6月18日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「40代の同僚男性を聴取 米原タンク殺人」『MSN産経ニュース』2009年6月19日。オリジナルの2009年6月22日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c d 「米原・女性殺害、容疑者の車内に争った跡」『読売新聞』2009年6月20日。オリジナルの2009年6月24日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「申し訳ないと容疑者の勤務先幹部 滋賀タンク殺人で記者会見」『西日本新聞』2009年6月20日。オリジナルの2009年6月24日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b 「米原汚水タンク女性殺人 不倫の上司男を逮捕 滋賀県警」『MSN産経ニュース』2009年6月19日。オリジナルの2009年6月22日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「「暴力怖い」と同僚に相談 汚泥タンク殺人」『共同通信』2009年6月20日。オリジナルの2009年6月23日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原の汚水タンク女性殺人 逮捕前の不倫上司の一問一答」『MSN産経ニュース』2009年6月20日。オリジナルの2009年6月22日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原の汚水タンク女性殺人 容疑者が不明当日午後に会社を早退 (1/2ページ)」『MSN産経ニュース』2009年6月20日。オリジナルの2009年6月23日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「容疑者の車から血痕、被害者DNAと一致 米原のタンク殺人 (1/2ページ)」『MSN産経ニュース』2009年6月22日。オリジナルの2009年6月24日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b 「容疑者完全否認のまま裁判員裁判へ 米原女性殺害事件」『朝日新聞』2009年7月9日。オリジナルの2025年1月5日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原タンク殺人、容疑者全面否認のまま起訴」『MSN産経ニュース』2009年7月9日。オリジナルの2009年7月13日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原タンク殺人あす初公判 「負担大きい」「難しい」 滋賀」『MSN産経ニュース』2010年11月3日。オリジナルの2010年11月10日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原女性殺害、4日初公判 否認で審理長期化 大津地裁」『朝日新聞』2010年11月2日。オリジナルの2010年11月16日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c d e 「米原タンク殺人 「交際トラブル」検察側/「殺害動機ない」弁護側」『読売新聞』2010年11月4日。オリジナルの2010年11月11日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「大津地裁、裁判員裁判で非公開 タンク殺人事件の審理」『共同通信』2010年11月11日。オリジナルの2010年11月16日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b 「けって付着「考えにくい」/米原殺人」『朝日新聞』2010年11月13日。オリジナルの2010年11月17日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c d 「◯◯さん「暴力受けた」 被害者の友人証言、被告は強く否定」『中日新聞』2010年11月16日。オリジナルの2010年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c d 「娘失った無念さ語る 米原殺人事件公判」『中日新聞』2010年11月19日。オリジナルの2010年11月21日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b 「米原女性殺害 無期懲役を求刑、弁護側は無罪主張」『京都新聞』2010年11月22日。オリジナルの2010年11月24日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原の交際女性殺害に懲役17年判決 無罪主張退ける」『日本経済新聞』2010年12月2日。オリジナルの2025年1月5日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b 「米原女性殺害:懲役17年「供述信用できぬ」 大津地裁」『毎日新聞』2010年12月2日。オリジナルの2010年12月3日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「「多数の事実矛盾はない」 滋賀県のタンク殺人判決」『日本経済新聞』2010年12月3日。オリジナルの2025年1月6日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2010年12月3日 全国版 大阪夕刊 夕2社14頁「タンク殺人被告が控訴」(読売新聞大阪本社)
- ^ 「米原女性殺害、2審も実刑 大阪高裁」『日本経済新聞』2011年10月7日。オリジナルの2025年1月5日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「汚泥タンク殺人、2審も懲役17年…大阪高裁」『読売新聞』2011年10月7日。オリジナルの2011年10月10日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2011年10月14日 全国版 大阪朝刊 3社37頁「米原殺人 被告が上告」(読売新聞大阪本社)
- ^ 「米原タンク殺人、懲役17年が確定へ 最高裁が上告棄却」『日本経済新聞』2013年2月6日。オリジナルの2025年1月5日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ^ 「米原女性殺害に懲役17年 被告の無罪主張「信用できない」」『中日新聞』2010年12月2日。オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 内田さとし「米原汚水槽女性殺害事件 本当にカレが彼女を汚水槽に投げ込んだのか?」『冤罪File』No.12(ほんとうにこわい嫁・姑2月号増刊)、冤罪File編集局、2011年1月、26-37頁。