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第9機械化歩兵旅団 (韓国陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第9機械化歩兵旅団
創設 1946年11月16日
所属政体 大韓民国の旗 大韓民国
所属組織 大韓民国陸軍
部隊編制単位 旅団
兵科 機械化歩兵
編成地 済州島南済州郡大静邑
愛称 闘虎部隊
標語 「機動せよ!闘虎旅団!済州から鴨緑江まで!」(기동하라! 투호여단! 제주에서 압록강까지!)
上級単位 第11機動師団
最終上級単位

第3軍

担当地域 江原特別自治道洪川郡
戦歴

済州島四・三事件
朝鮮戦争

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第9機械化歩兵旅団朝鮮語: 제9기계화보병여단、英語: ROKA 9th Mechanized Infantry Brigade)は、大韓民国陸軍の機械化歩兵旅団である。建軍当初からの古参部隊の一つで、第11機動師団隷下部隊として江原特別自治道洪川郡に本部を置いている。 旧名称は第9歩兵連隊で、2000年代に旅団に昇格した。愛称は「闘虎部隊」(투호)。

沿革

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創設

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1946年11月、済州島は摹瑟浦の旧日本軍第58軍兵舎[注釈 1]にて南朝鮮国防警備隊第9歩兵連隊として創設。初代連隊長は張昌国。当初2個中隊規模にすぎなかったが、慕兵で3個中隊、1個大隊まで規模を増やした[1]。 1947年12月1日、釜山に新設の第3旅団(長:李應俊)隷下に第5連隊、第6連隊とともに入る。

1948年4月、済州島で島人の蜂起が起こると、連隊長の金益烈は当初融和策を取り、首謀者の金達三と会談して72時間以内に戦闘を中断することを協議した。しかし米軍政庁と趙炳玉警務部長などの強硬策によって交渉は決裂。金益烈はなおも鎮圧に反対したため、5月に連隊長を解任された。また同時に、第5連隊ともども人員の一斉入れ替えが行われた。なお金連隊長の更迭直前の5月3日、投降ゲリラを米軍と護送中に済州島警察隊(署長:文容彩)との間に内紛が起こり、ゲリラを多数脱走させてしまっている[2]

後任の朴珍景朝鮮語版連隊長は一転して強硬策を取り、鎮圧戦を敢行する。また、まもなくして済州邑に第11連隊が新規編成され[注釈 2]、朴珍景が1週間足らずでそちらの連隊長に異動したため、第1大隊長の林富沢が連隊長代理となる。第9連隊主力は摹瑟浦に第1大隊第1中隊(長:李世鎬、副大隊長兼)を残して第11連隊の指揮下に入り、済州邑にて第11連隊と連携して掃討作戦に従事した。当時、第9連隊と第11連隊の統合司令部構想が持ち上がっていたが、前述の大量更迭により参謀人員が不足していたため、林富沢連隊長が第11連隊作戦参謀も兼任していた[3]

しかし、その中でも南朝鮮労働党の左翼細胞は活動を続け、兵士41人の集団脱営、さらに就寝中の朴珍景大領が軍内部の左派により暗殺されてしまう。のちに、創設幹部の一人だった第1大隊第2中隊長の文相吉中尉が両件に関与していた事が判明した[1]。7月に着任した宋堯讃は連隊内の左翼細胞の排除に乗り出し、10月に麗水・順天事件が起こると、第14連隊の反乱軍を装った欺瞞作戦で、連隊内の左翼細胞80余名を一掃した。11月になると鎮圧作戦はいっそう苛烈化し、老若男女問わず射殺するようになった[4]。済州島の犠牲者の大半は宋堯讃大領の在任中のことである[5]4・3委員会朝鮮語版に申告された犠牲者統計によれば、犠牲となった15歳以下の子供で、宋の在任中に発生した犠牲者は全体の76.5パーセント、61歳以上は全体の76.6パーセントであった[5]。さらにゲリラの根拠地を無くすために中山間部の村は焼かれて焦土化した[5][6]。4・3事件で家屋39,285棟が焼失したが、多くはこの時放火されたものだった[7]。この強硬鎮圧作戦で、生活の場を失った中山間部の住民約2万名を山に追いやる結果となった[7]

朝鮮戦争

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1949年2月、首都ソウルに移動し新設の首都旅団(長:李俊植大領、6月20日に第7歩兵師団に改称)に編入され、1950年6月25日の朝鮮戦争開戦を迎える。抱川正面の第9連隊は、尹春根連隊長の処置により全将兵が営内待機していた。これに対する北朝鮮軍第3師団第7連隊(長:金昌奉)は、他の部隊より20分早い3時40分より攻勢準備射撃を開始し、第109戦車連隊の戦車40両を先頭にした主攻を梁文里から抱川に到る国道43号線に指向する一方、梁文里西方の永平里から抱川北側の加郎山に到る軸線に助攻を指向し、第9連隊主力の後方を遮断しようと試みたが、この方面に配置されていた前哨中隊の抵抗によってこれは失敗した。しかし歩戦協同攻撃により韓国軍は圧倒され、9時には主抵抗線まで後退していた。第9連隊は頑強に抵抗したが、予備陣地まで敵に蹂躙され、師団本部との連絡も途絶したことから、尹春根連隊長は独断で17時ごろより光陵への後退を実施した。この際、第3大隊(長:李哲源少領)には命令が伝わらず、陣地を固守していたために後退の時期を逸し、大損害を受けた。翌日に離脱出来た第3大隊の残存人員は100名程度であった。

ソウル陥落後に混成第7師団に再編入され、隷下部隊は1個混成大隊(長:柳桓博少領)へと再編、漢江で人民軍を阻止した(漢江の戦い)。漢江防御線が崩壊すると、一部残存兵力は閔耭植大領に束ねられて閔支隊を編成し、湖南地方の遅滞や釜山橋頭堡の戦いに参加した。

7月4日兪海濬中領の歩兵学校混成連隊を迎えて大邱で立て直され、9月25日に新設の第11機動師団の隷下に入った。11月より慶尚南道晋州市に移駐し[8]、翌年にかけて智異山地域で人民軍敗残兵の掃討作戦を展開。 しかし、隷下第3大隊が1951年2月7日に山清郡咸陽郡の住民705名、続いて2月9日居昌郡の住民719名を虐殺する居昌事件を引き起こした。連隊長の呉益慶中領に無期懲役、第3大隊長の韓東錫少領に懲役10年の有罪判決がそれぞれ下されたが、李承晩大統領によりただちに恩赦が下された。

1953年6月より8週間の訓練を受け、金城の戦いに投入。7月10日より14日まで轎岩山戦闘[9]、15日より赤根山戦闘に参加、米第3師団の火力支援を受けつつ北部の杜木洞を確保、国境線が確定し休戦を迎えた[10][11][12]

戦後

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休戦後も第11師団の隷下にとどまり、現在に至る。1960年代の蔚珍・三陟武裝共匪浸透事件朝鮮語版では鎮圧戦に出動。

2004年12月、他の隷下部隊とともに機械化歩兵旅団に昇格。

隷下部隊

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旅団本部と本部中隊

  • 第56戦車大隊「白虎」(백호)
  • 第127機械化歩兵大隊「突撃」(돌격)
  • 第128機械化歩兵大隊「闘虎」(투호)
  • 第9旅団軍需支援大隊

歴代連隊長・旅団長

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旅団昇格後も部隊長は大領である。

脚注

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  1. ^ 兵器部長の大竹修大佐(士候25期)の名を取り「大村兵舍」と呼ばれていた。1951年より第1訓練所朝鮮語版が使用。
  2. ^ 現在は第1歩兵師団隷下で旅団に昇格している

出典

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  1. ^ a b 打ち明ける話- 李世鎬 元陸軍参謀総長 "全斗煥、正規陸士出身に昇進・補職の恩恵を求める"” (朝鮮語). 月刊朝鮮. 2024年11月1日閲覧。
  2. ^ “満州将校が「光復闘争」?顕忠院の中に詰まった身分洗濯” (朝鮮語). オーマイニュース. (2021年3月21日). https://m.ohmynews.com/NWS_Web/Mobile/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002728302#cb 2024年11月1日閲覧。 
  3. ^ “済州4・3事件と第11連隊長 故朴珍景大領” (朝鮮語). 済州経済日報. (2022年4月6日). http://www.jejukyeongje.com/news/articleView.html?idxno=23996 2024年11月1日閲覧。 
  4. ^ 済州4・3平和財団 2014, p. 301.
  5. ^ a b c “죽을래야 죽을 수 없고 살래야 살 수 없다” (朝鮮語). 제주의소리. (2014年3月27日). http://www.jejusori.net/?mod=news&act=articleView&idxno=142844 2017年12月31日閲覧。 
  6. ^ 済州4・3平和財団 2014, p. 302.
  7. ^ a b 허상수 2004, p. 189.
  8. ^ 陸軍第11師団9連隊3大隊”. デジタル居昌文化大典. 2024年11月29日閲覧。
  9. ^ 6·25전쟁사 제11권-고지쟁탈전과 정전협정 체결” (PDF). 韓国国防部軍事編纂研究所. p. 363-375. 2024年11月29日閲覧。
  10. ^ 国防部 1976, p. 393.
  11. ^ 国防部 1976, p. 652.
  12. ^ 国防部 1976, p. 655-666.
  13. ^ 佐々木 1983, p. 197.
  14. ^ 国防部戦史編纂委員会 1988, p. 168.

参考文献

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  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2 
  • 韓國戰爭史第9巻 對陣末期(1953.1.1~1953.7.27)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2024年11月3日閲覧。
  • 對非正規戰史(1945~1960)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年2月8日閲覧。
  • 정안기 (2020). 충성과 반역 : 대한민국 創軍・建國과 護國의 주역 일본군 육군특별지원병. 조갑제닷컴. ISBN 979-11-85701-69-1 
  • 済州四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復委員会 著、済州大学校在日済州人センター 訳『済州4・3事件真相調査報告書』済州4・3平和財団、2014年。 
  • 허상수 (2004). “제주4.3사건의 진상과 정부보고서의 성과과 한계”. 동향과 전망 (한국사회과학연구회) 61: 176-228. https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART000938583. 

関連項目

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