第37回日本選手権競輪
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第37回日本選手権競輪(だい37かい にほんせんしゅけんけいりん)は、1984年に千葉競輪場で行われた。
決勝戦
[編集]- 3月20日(火)
着順 | 車番 | 選手 | 登録地 |
---|---|---|---|
1 | 2 | 滝澤正光 | 千葉県 |
2 | 9 | 井上茂徳 | 佐賀県 |
3 | 3 | 山口健治 | 東京都 |
4 | 4 | 梨野英人 | 香川県 |
5 | 6 | 大橋秀人 | 北海道 |
6 | 7 | 中野浩一 | 福岡県 |
7 | 5 | 吉井秀仁 | 千葉県 |
8 | 8 | 清嶋彰一 | 東京都 |
9 | 1 | 菅田順和 | 宮城県 |
- 払戻金
- 連勝単式(枠番連勝単式) 2-6 2020円
レース概要
[編集]並びは梨野-中野-井上、大橋-菅田-山口、清嶋-滝澤-吉井という形で、一見見れば三分戦の様相を呈していた。
ところが残りあと2周を通過して時点で、菅田が山口を連れて上昇し、菅田-山口-大橋が外に回って梨野-中野-井上を内に封じ込める策に出た。ジャンが鳴り、後方に構えた清嶋が、滝澤-吉井を連れて一気にカマシに打って出て、清嶋は残りあと1周地点で先頭に立った。この動きに対し、中野が500mバンクの千葉であるにもかかわらず、梨野を捨て、井上を連れて最終1センター付近より捲って出るが、山口に動きを封じ込められたため、インを突くのが精一杯となった。一方、2センター付近で滝澤が清嶋を番手捲り。そして、中野がインに封じ込められたと見るや、井上が滝澤後位につけ、直線では滝澤と井上のデッドヒートとなったが、滝澤が井上を退け、地元の千葉で特別競輪(現在のGI)初優勝を果たした。
当時は中野、井上を中心とする九州軍団と、関東・南関東を中心としたフラワーラインが競輪界の二大勢力といわれたが、このレースでは、北日本の菅田と大橋もフラワーラインに与する格好となり、結果的に滝澤の優勝に貢献した形となった。
エピソード
[編集]- 優勝した滝澤はその後感激のあまり、優勝インタビュー、表彰式でも涙が止まらなかった。そして表彰式後に、当時サイクルにっぽんのインタビュアーだった、したらじゅん子から受けたインタビューでも涙を抑え切れなかった。
外部リンク
[編集]- 日本選手権競輪決勝戦の成績 - KEIRIN.JP
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