第3軍団 (ドイツ国防軍)
第3軍団 | |
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第3装甲軍団のインシグニア | |
創設 | 1934年10月 |
廃止 | 1945年5月8日 |
所属政体 | ナチス・ドイツ |
所属組織 | ドイツ国防軍陸軍 |
部隊編制単位 | 軍団 |
戦歴 | 第二次世界大戦 |
第3軍団(だい3ぐんだん、ドイツ語: III Armeekorps)は、第二次世界大戦中のドイツ国防軍の部隊である。
第III軍団
[編集]1934年10月、第III軍団は編成された。ネレトヴァの戦いと1939年のポーランド侵攻では北方軍集団に所属していた。フランスの戦いではA軍集団の一員としてアルデンヌにて黄計画(Fall Gelb)に沿って激闘した。1941年3月には自動車化し、第III自動車化軍団(III Armeekorps (mot))に再編成された。軍団はバルバロッサ作戦のために南方軍集団に配属された。その後、ブロディの戦い、キエフの戦い、ロストフの戦い、ハリコフ攻防戦、そしてウーマニの戦いに参加した。
第III装甲軍団
[編集]1942年6月、第III装甲軍団(III Panzer Corps)は第III軍団から編成され、A軍集団隷下の部隊としてブラウ作戦を遂行し、コーカサスを占領した。その後、スターリングラードの戦いで第6軍が壊滅すると、ハルキウに駐留するドン軍集団の指揮下に入った。クルスクの戦いでは第4装甲軍の右翼を支援するケンプフ軍支隊に所属した。その後、ローランド作戦で、ベルゴロドのドニエプル川沿いに構築されたパンタ-=ヴォータン(Panther-Wotan)防衛線まで退却した。
1944に入ると、コルスン包囲戦に参加し、ソ連軍に包囲された第XI軍団と第XLII軍団の2個軍団を救出した。しかし3月にはカメネツ=ポドリスキー包囲戦にて第III装甲軍団が所属する第1装甲軍が包囲されると、司令官ヘルマン・ブライト装甲兵大将は部隊をブライト集団(Gruppe Breith)に編成した。
1944年後期、第III装甲軍団はブダペスト包囲戦のコンラート作戦にてハンガリー守備隊と共に戦った。その後、春の目覚め作戦に参加した。第III装甲軍団はオーストリアで米軍に包囲され、1945年5月8日に降伏した。
司令官
[編集]着任 | 離任 | 階級 | 氏名 |
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1939年9月1日 | 1940年11月13日 | 上級大将 | クルト・ハーゼ |
1940年11月13日 | 1941年1月15日 | 歩兵大将 | クルト・フォン・グラウフ |
1941年1月15日 | 1942年3月31日 | 上級大将 | エバーハルト・フォン・マッケンゼン |
1942年3月31日 | 1942年7月20日 | 上級大将 | レオ・ガイヤー・フォン・シュヴェッペンブルク |
1942年7月20日 | 1943年1月2日 | 上級大将 | エバーハルト・フォン・マッケンゼン |
1943年1月2日 | 1943年9月20日 | 装甲兵大将 | ヘルマン・ブライト |
1943年9月20日 | 1943年11月25日 | 砲兵大将 | ハインツ・ツィーグラー |
1943年11月25日 | 1944年1月9日 | 歩兵大将 | フリードリヒ・シュルツ |
1944年1月9日 | 1944年5月31日 | 装甲兵大将 | ヘルマン・ブライト |
1944年5月31日 | 1944年6月29日 | 装甲兵大将 | ディートリヒ・フォン・ザウケン |
1944年6月29日 | 1945年5月8日 | 装甲兵大将 | ヘルマン・ブライト |
関連事項
[編集]外部リンク
[編集]“III. Armeekorps”. Lexikon der Wehrmacht. 30 November 2010閲覧。