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第2戦車群

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第2戦車群
創設 1954年(昭和29年)9月25日
廃止 1981年(昭和56年)3月24日
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 陸上自衛隊
部隊編制単位
兵科 機甲科
所在地 北海道 恵庭市
編成地 北恵庭
上級単位 第1戦車団
最終上級単位 第1戦車団
最終位置 北恵庭
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第2戦車群(だいにせんしゃぐん、JGSDF 2nd Tank Group)は、北海道恵庭市北恵庭駐屯地に駐屯していた北部方面隊第1戦車団隷下の機甲科(戦車)部隊で1981年(昭和56年)3月24日に廃止された。

概要

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群本部、本部管理中隊および5個の独立戦車中隊を編合して編成され、群長は1等陸佐が充てられていた。

1981年(昭和56年)3月に第7師団の機甲師団改編に伴い廃止され、第7師団隷下の第72戦車連隊(4個戦車中隊基幹)に改編された。

沿革

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第103特車大隊

  • 1954年(昭和29年)9月25日:第103特車大隊(3個中隊基幹)が北恵庭駐屯地において編成完結[1][2]。M4中戦車を装備[1]
  • 1956年(昭和31年)1月25日:第103特車大隊が第1特車群(北恵庭駐屯地)に編合。
  • 1961年(昭和36年)8月:M41戦車を装備開始。

第103戦車大隊

  • 1962年(昭和37年)1月18日:第103特車大隊(北恵庭駐屯地)が第103戦車大隊に称号変更。第1戦車群(北恵庭駐屯地)に編合。
  • 1968年(昭和43年)12月:61式戦車を装備開始。

第2戦車群

  • 1974年(昭和49年)8月1日:第103戦車大隊(北恵庭駐屯地)が廃止・改編され、第2戦車群(5個戦車中隊基幹)を北恵庭駐屯地に新編[2]第1戦車団に編合。
  • 1978年(昭和53年)7月:74式戦車を装備開始。
  • 1981年(昭和56年)3月24日:第2戦車群(北恵庭駐屯地)が廃止。
第306戦車中隊の74式戦車

廃止時の部隊編成

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  • 第2戦車群本部
  • 本部管理中隊「2戦群-本」:74式戦車73式装甲車78式戦車回収車
  • 第306戦車中隊「306戦」:74式戦車、73式装甲車
  • 第307戦車中隊「307戦」:74式戦車、73式装甲車
  • 第308戦車中隊「308戦」:74式戦車、73式装甲車
  • 第309戦車中隊「309戦」:74式戦車、73式装甲車
  • 第310戦車中隊「310戦」:74式戦車、73式装甲車

歴代の第2戦車群長

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歴代の第2戦車群長
(1等陸佐)
氏名 在職期間 前職 後職
01 水澤博 1974年08月01日 - 1976年03月15日 第1戦車群付 陸上幕僚監部第3部勤務
02 三田誠一 1976年03月16日 - 1978年03月15日 第1戦車団本部高級幕僚 北部方面総監部
03 井上年弘 1978年03月16日 - 1979年07月31日 陸上自衛隊幹部学校研究員 第4師団司令部幕僚長
内田十允 1979年08月01日 - 1981年03月24日 陸上幕僚監部人事部補任課勤務 第72戦車連隊

主要装備

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出典

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  • PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状 アルゴノート社 2016
  • 陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版 2017

脚注

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  1. ^ a b 陸上自衛隊. “第72戦車連隊の紹介”. 第72戦車連隊. 2017年10月15日閲覧。
  2. ^ a b 歴代の陸自戦車部隊,柘植雄介,ウオーマシンレポートNo50 陸上自衛隊の戦車部隊-その歴史と現状,P100-109,アルゴノート社,2016年

関連項目

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