第10回ジャパンボウル
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開催日 | 1985年1月13日 | ||||||||||||||||||
スタジアム | 横浜スタジアム | ||||||||||||||||||
開催地 | 横浜市 | ||||||||||||||||||
入場者数 | 30,000 |
第10回ジャパンボウルは1985年1月13日、横浜スタジアムで行われたカレッジフットボールのオールスター東西対抗戦。西軍が28-14で勝利した。西軍の勝利は6年連続8回目となった[1]。
試合開催前の話題
[編集]カレッジフットボール史上初の通算10,000ヤードを投げて、ハイズマン賞を受賞したボストンカレッジのQBダグ・フルーティが期待を集めた[2]。
試合経過
[編集]西軍はカリフォルニア大学のQBゲイル・ギルバートが率いるオフェンスが、ラン、パスを織り交ぜて前進し、第2Q 35秒にサンディエゴ州立大学のマイク・ウォーターズ (Mike Waters) がゴール前1ヤード地点から中央をついて先制TDをあげた。さらに8分、ネブラスカ大学のジェフ・スミスが1ヤード地点から密集を突き、TDをあげて14-0とリードした[3]。前半終了間際にボストンカレッジのトニー・サーマンがネバダ大学ラスベガス校のランドール・カニンガムのパスをインターセプトし、リターンTDを狙ったが、58ヤードをリターンした6ヤード地点でカニンガムに阻まれた。東軍は残り17秒で3プレーを行ったが、得点をあげることはできず、14-0で前半は終了した[4]。
後半、東軍は反撃し、第3Q序盤にテネシー大学のジョニー・ジョーンズ (Johnny Jones) の4ヤードのTDランで14-6と点差を詰めた[1]。西軍は第3Q終盤、ゲイル・ギルバートがアル・ツーンへ3ヤードのTDパスを決めた[1]。
第4Q序盤にノースカロライナ大学のイーサン・ホートンの14ヤードTDラン、マイク・トムザックが2ポイントコンバージョンを成功させ、残り13分38秒で東軍は14-21と7点差に点差を詰めた[1]。第4Q終盤、東軍は自陣4ヤードから敵陣3ヤードまで93ヤードをドライブしたが、TDを狙ったパスをUCLAのロン・ピッツ[注釈 1]がインターセプトし、99ヤードのリターンTDをあげて残り1分41秒で28-14とし、そのまま勝利した[5]。ピッツがインターセプトしたプレーでは、東軍はQBドロープレーを指示しており、失敗しそうな場合はボールを放り捨てるよう指示がされていた[4]。
西軍は守備でもウィスコンシン大学のディフェンシブラインマン、ダリル・シムズが激しいラッシュを見せて活躍し、フルーティにTDパスを許さなかった[3]。
トムザックと交互に起用されたダグ・フルーティはダリル・シムズらのラッシュに苦しみ、10ヤード、12ヤード、21ヤードのランも見せたが、ランではマイナス7ヤード[4]、パス25回中14回成功、208ヤード、1インターセプト、トムザックはパス21回中11回成功、133ヤード、ギルバートはパス25回中16回成功、140ヤード、カニンガムはパス20回中9回成功126ヤードを獲得した[4]。
ジョー・ロス賞(最優秀選手賞)には、ゲイル・ギルバートが選ばれた[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ グリーンベイ・パッカーズでプレーしたイライジャ・ピッツの息子。
出典
[編集]- ^ a b c d “Pitts Has 99-Yard Score as West Wins Japan Bowl”. ロサンゼルス・タイムズ (1985年1月13日). 2015年8月18日閲覧。
- ^ フルーティー まるで牛若丸 朝日新聞 1985年1月14日朝刊18ページ
- ^ a b 西軍が圧倒6連勝 MVPにQBギルバート(西軍)ジャパンボウル 読売新聞 1985年1月14日朝刊16ページ
- ^ a b c d “WEST STOPS FLUTIE IN JAPAN BOWL VICTORY”. ニューヨーク・タイムズ (1985年1月14日). 2015年8月18日閲覧。
- ^ a b 西軍、堅守で6連勝 ピッツ、ダメ押しTD ジャパンボウル 朝日新聞 1985年1月14日朝刊18ページ