コンテンツにスキップ

秩父太平洋セメント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秩父太平洋セメント株式会社
Chichibu Taiheiyo Cement Corporation
秩父太平洋セメント(本社・秩父工場)
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
368-0005
埼玉県秩父市大字大野原1800
設立 2000年平成12年)6月29日
業種 ガラス・土石製品
法人番号 4030001091313 ウィキデータを編集
事業内容 セメントの製造
代表者 代表取締役 明石 勤
資本金 4億9000万円
売上高 61億円
(2008年3月期)
純利益 3億4,533万4,000円
(2024年3月期)[1]
総資産 41億5,799万5,000円
(2024年3月期)[1]
従業員数 139人
主要株主 太平洋セメント株式会社 100%
外部リンク www.ct-cement.co.jp/
テンプレートを表示

秩父太平洋セメント株式会社(ちちぶたいへいようセメント)は、太平洋セメント株式会社傘下のセメントメーカー。太平洋セメント秩父工場(旧・秩父セメント秩父第二工場)の規模を縮小・分社化して発足した。

事業所所在地

[編集]

沿革

[編集]
  • 2000年平成12年)6月29日 - 会社設立。
  • 2000年(平成12年)12月11日 - 太平洋セメントより秩父工場・鉱山を継承し、営業開始。

秩父工場

[編集]
秩父太平洋セメント秩父工場
情報
旧名称 秩父セメント第2工場
用途 工場
旧用途 工場
設計者 基本設計 谷口吉郎(建築), 実施設計·監理=日建設計工務(現日建設計)、機械設計 スミス社(デンマーク)
構造設計者 二見秀雄·加藤六美
施工 安藤組·清水建設·大正鉄筋コンクリート·大成建設·戸田組
構造形式 SRC造, S造
建築面積
※(竣工時)約353000平方メートル
竣工 1956年
テンプレートを表示

石灰石の大鉱床として知られる武甲山のふもとの地に、渋沢栄一諸井恒平(共に現在の埼玉県出身)らが中心となって「秩父セメント」を創業したのは1923年大正12年)である。元々の工場は秩父市の中心市街地に近いところにあったが、朝鮮戦争勃発による特需を受け、生産力を増強するため、別の敷地に新しい工場を建てる計画が持ち上がる。

秩父セメント第2工場、現在の秩父太平洋セメント秩父工場は、当時東京工業大学教授だった谷口吉郎が基本設計を行った。谷口はそれまで、東京工業大学水力実験室(1932年)や慶應義塾の校舎(1949年)などの作品を手がけていたが、大学の卒業設計では「製鉄工場」を題材にしていた。それだけに、本格的な工場設計の機会を得て大いに意気込み、生産性の高さのほか安全衛生の面からも優れ、しかも美しさを兼ね備えた、理想の工場を実現しようとしたという。実施設計には日建設計工務(現・日建設計)が当たり、1956年昭和31年)に竣工した。

秩父セメントは、1990年代に進んだセメント業界の再編により、小野田セメント、日本セメントと次々と合併を果たし、太平洋セメントとなった。その後、2000年平成12年)に太平洋セメントの子会社として秩父太平洋セメントが設立された。同時期に秩父セメントの第1工場が操業を停止。その結果、秩父セメント第2工場は現在、秩父太平洋セメント秩父工場と名前を変えている。

この工場施設は、美しく分割された壁面、敷地中央を貫く幅の広い通路、その両側に、圧倒的なボリュームで建築群が建ち並んでおり、第1期工事の建物に限ってみても、建築面積で1万坪(約3万3,000 m2))を超え、巨大な建築だが絶妙なボリューム配分と、リズミカルに連続するヴォールト屋根の効果で、単調さを感じなくさせている。このほか特筆されるのが立面の美しさで、谷口作品に共通する縦に長い四角形のパターンで構成される端正なプロポーションによる壁面分割は、スチールサッシ、スレートレンガコンクリート打ちっ放しなど、様々な素材を用いながら、外壁を覆い尽くしている。大規模な建築でありながら、デザインの密度が隅から隅まで保たれているという。[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 秩父太平洋セメント株式会社 第24期決算公告
  2. ^ 日経アーキテクチュア KEI ARCHITECTURE 2007年6月25日号

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]