福士文知
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福士 文知(ふくし ぶんち、1913年(大正2年)8月16日[1] - 2003年(平成15年)5月1日[2])は、昭和から平成時代の政治家。医師。青森県弘前市長。
経歴
[編集]弘前市出身[2]。1966年(昭和41年)岩手医学専門学校卒業[1]。1975年(昭和50年)弘前市医師会長を経て、1976年(昭和51年)から市長に4選[1]。1992年(平成4年)2月に引退した[2]。
2003年(平成15年)5月1日、急性肺炎のため弘前市の病院で死去した[2]。
栄典
[編集]- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d 日外アソシエーツ 1999, 387頁.
- ^ a b c d “福士文知氏死去/前青森県弘前市長”. 四国新聞社 (2003年5月2日). 2020年9月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。