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祇摩王陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慶州 祇摩王陵
경주 지마왕릉
(Tomb of King Jima, Gyeongju)
大韓民国指定史跡第221号
(1971年4月28日指定)
種類遺跡墳丘墓円墳
祇摩王陵 지마왕릉の位置(大韓民国内)
祇摩王陵 지마왕릉
祇摩王陵
지마왕릉
祇摩王陵
지마왕릉 (大韓民国)
所在地大韓民国の旗 韓国
慶尚北道 慶州市拝洞30
座標北緯35度48分15秒 東経129度12分39秒 / 北緯35.80417度 東経129.21083度 / 35.80417; 129.21083座標: 北緯35度48分15秒 東経129度12分39秒 / 北緯35.80417度 東経129.21083度 / 35.80417; 129.21083
面積900m2 (9,488m2[1][2])
建設新羅時代
管理者慶州市
所有者慶州市ほか
ウェブサイト국가문화유산포털
ユネスコ世界遺産
所属慶州歴史地域
登録区分文化遺産: (2), (3)
参照976
登録2000年(第24回委員会)

祇摩王陵(ぎまおうりょう、ハングル지마왕릉〈チマワンヌン[3]〉)は、韓国慶尚北道慶州市拝洞(ハングル배동〈ペドン〉)にある新羅第6代王(尼師今)祇摩(ぎま〈チマ、キマ[4]〉、在位112-134年)の陵とされる墳墓である。

1971年4月28日、大韓民国指定史跡第221号に指定された後、2011年07月28日に現在の慶州祇摩王陵ハングル경주 지마왕릉)に名称変更された[5]

2000年11月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産文化遺産)に登録された慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル경주역사유적지구)の南山地区(慶州南山一円朝鮮語版〈史跡311号〉)となる[6]南山朝鮮語版(ナムサン)西麓の北側に位置する[7]

概要

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祇摩王陵は、高さ3.4メートル、直径12メートル[2]、周長約38ートルの円墳(円形封土墳朝鮮語版[2])であり、封土(盛土[8])のほか装飾要素のない新羅時代初期の形式で[9]五陵形式に分類される[10]

一方、この王陵は傾斜面を利用した高い立地に構築されており[9]、慶州平野にある墳墓と異なり高い位置にあることから、2世紀頃のものとは見られないとして、祇摩の陵墓ではないともいわれる。また、単一かつ小規模なことから、これを新羅末期の9世紀に造られた横穴式石室墳と捉える見方もある[2]

墳墓の手前にある整形された床石は[9]、1955年に設置されたもので、魂が出たときを過ごすための「魂遊石」(ハングル혼유석[11])とされる[2]

脚注

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  1. ^ Tomb of King Jima, Gyeongju”. Explore Heritage. Cultural Heritage Administration. 2023年5月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e 경주지마왕릉(慶州祗摩王陵)”. 한국학중앙연구원. 2023年5月29日閲覧。
  3. ^ 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 (2016)、157頁
  4. ^ 東、田中 (1988)、125・335頁
  5. ^ 경주 지마왕릉(慶州 祗摩王陵)”. 국가문화유산포털. 문화재청. 2023年5月29日閲覧。
  6. ^ 慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])”. Visit Korea. 地域ガイド. 韓国観光公社 (2021年7月30日). 2023年5月15日閲覧。
  7. ^ 東、田中 (1988)、125頁
  8. ^ 封土”. コトバンク. 精選版 日本国語大辞典. 2023年5月29日閲覧。
  9. ^ a b c 경주 지마왕릉”. 문화/관광/음식. 경북도청. 2023年5月29日閲覧。
  10. ^ 秦 (1973)、46・51頁
  11. ^ 혼유석(魂遊石)”. 한국학중앙연구원. 2023年5月29日閲覧。

参考文献

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  • 秦弘燮『慶州文化財散歩』學生社、1973年。 
  • 東潮、田中俊明『韓国の古代遺跡 1 新羅篇(慶州)』森浩一(監修)、中央公論社、1988年。ISBN 4-12-001690-0 
  • 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 編『歴史探訪 韓国の文化遺産 下 慶州・釜山』山川出版社、2016年。ISBN 978-4-634-15088-1 

関連項目

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外部リンク

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