コンテンツにスキップ

祇園町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぎおんちょう
祇園町
元祇園町役場
元祇園町役場
廃止日 1972年8月27日
廃止理由 編入合併
祇園町 → 広島市
現在の自治体 広島市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
安佐郡
市町村コード 34341-2
面積 15.07 km2
総人口 42,505
(1971年10月1日)
隣接自治体 広島市、安佐郡安古市町
祇園町役場
所在地 広島県安佐郡祇園町
座標 北緯34度26分19秒 東経132度27分54秒 / 北緯34.43858度 東経132.46503度 / 34.43858; 132.46503座標: 北緯34度26分19秒 東経132度27分54秒 / 北緯34.43858度 東経132.46503度 / 34.43858; 132.46503
特記事項 当時の町役場は、現在は広島市安佐南区役所祇園出張所などで使用されている。
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

祇園町(ぎおんちょう)は、かつて広島県安佐郡に存在した町である。1972年8月27日広島市に編入されて消滅した。

地理

[編集]
河川
  • 太田川
  • 太田川放水路
  • 古川
  • 山本川
  • 火山(標高488.3m)
  • 丸山(標高457.6m)
  • 武田山(標高410.9m)
  • 宗箇山(標高356m)
大字

歴史

[編集]
  • 1889年4月1日 - 市町村制施行。後の祇園町域には当時いずれも沼田郡に属する祇園村、長束村西原村(のちの原村)、東原村(のちの原村)、山本村の各村があった。
  • 1898年10月1日 - 高宮・沼田両郡が統合して安佐郡が成立したことに伴い、祇園・長束・西原・東原・山本の各村は安佐郡に属する村になる。
  • 1920年4月1日 - 西原・東原両村が対等合併して原村が成立する。
  • 1938年1月1日 - 祇園村が町制施行して祇園町(初代)になる。
  • 1943年11月3日 - 祇園町(初代)と長束・原・山本の各村が対等合併して祇園町(2代)が成立する。
  • 1972年8月27日 - 広島市に編入されて消滅する。

経済

[編集]

産業

[編集]
農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、祇園村の篤農家は「田中潤一、森岡盛一」、山本村の篤農家は「瀬川卯一」、長束村の篤農家は「橋本保吉」、西原村の篤農家は「増田柳太郎、西川松太郎、繁竹徳太郎」などである[1]

企業

地域

[編集]

教育(1972年8月26日当時のデータ)

[編集]
小学校
  • 祇園町立祇園小学校
  • 祇園町立長束小学校
  • 祇園町立原小学校
  • 祇園町立山本小学校
中学校
  • 祇園町立祇園中学校
  • 祇園町立祇園東中学校
高等学校
大学

交通(1972年8月26日当時のデータ)

[編集]

鉄道

[編集]

道路

[編集]
国道
主要地方道

町内は通っていない。

一般県道

名所・旧跡

[編集]
  • 銀山城(かなやまじょう)跡 - 安芸国守護・武田氏が拠った山城の跡。広島県では福山市山手町にも同名の山城があるが、そちらは「ぎんざんじょう」と読む。

出身・ゆかりのある人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『大日本篤農家名鑑』148頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年4月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『日本全国諸会社役員録 第44回』下編430頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月11日閲覧。
  3. ^ a b 『日本紳士録 第44版』広島ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ、ハの部19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月30日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第44回』商業興信所、1936年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
  • 地域散歩 - 祇園西公民館Web情報ステーション(広島市未来都市創造財団ひと・まちネットワーク部)
  • 歴史情報 - 祇園西公民館Web情報ステーション(広島市未来都市創造財団ひと・まちネットワーク部)