白露 (初代神風型駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1904年度[1] |
起工 | 1905年2月25日[1] |
進水 | 1906年2月12日[1] |
就役 | 1906年6月6日[1] |
その後 | 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1928年7月6日廃駆逐艦第1号と仮称[1] 1928年8月1日雑役船編入、交通船兼曳船指定、公称第725号と改称[1] |
除籍 | 1928年4月1日[1] |
廃船 | 1930年2月12日認許[1] |
売却 | 1930年3月27日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:381t 満載:450t |
全長 | 69.2メートル |
全幅 | 6.6メートル |
吃水 | 1.8メートル |
機関 | レシプロエンジン2基2軸、6,000hp |
最大速力 | 29ノット |
航続距離 | 11ノット/850カイリ |
乗員 | 70人 |
兵装 | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
白露(しらつゆ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の5番艦である。同名艦に白露型駆逐艦の「白露」があるため、こちらは「白露 (初代)」や「白露I」などと表記される。
艦歴
[編集]1905年(明治38年)2月15日、命名(製造番号第5号)[2]。同日附で三菱合資会社三菱造船所(三菱長崎)において起工[3]。1906年(明治39年)2月12日進水[3]。2月15日、駆逐艦に類別[4]。同年8月23日竣工[3]。
第一次世界大戦では、1914年、青島の戦いに参加[1]。シベリア出兵時には沿海州の沿岸警備を行った[1]。
姉妹艦の類別変更や除籍にともない、1926年(大正15年)12月1日附でネームシップとなる[5]。1928年(昭和3年)4月1日、除籍[6][7]。同年7月6日、廃駆逐艦第1号と仮称。8月1日、雑役船に編入され、交通船兼曳船(公称第725号)に指定。1930年(昭和5年)2月12日、廃船認許。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- (兼)守永喜三郎 大尉:1906年7月3日 - 1906年8月30日
- 桂頼三 大尉:1906年8月30日 - 1907年4月5日
- 岡村友治 大尉:1907年4月5日 - 1908年4月20日
- (兼)磯田敏祐 大尉:1908年4月20日 - 1908年9月25日
- 八角三郎 大尉:1908年9月25日 - 1908年11月20日
- 田辺金次郎 大尉:1908年11月20日 - 1911年5月23日
- 塚本克熊 大尉:1911年5月23日 - 1911年12月1日
- 牛島潔 大尉:1911年12月1日 - 1912年12月1日
- 志岐重吉 大尉:1912年12月1日 - 1913年12月1日
- 武田維幸 大尉:1913年12月1日 - 1914年12月1日
- 中村有年 大尉:不詳 - 1915年5月1日[8]
- 石田正一 大尉:1915年5月1日[8] - 1916年4月12日
- 井上桓征 大尉:1916年4月12日 - 1916年12月1日
- 田尻敏郎 大尉:1916年12月1日 - 1917年12月1日[9]
- 山本政平 大尉:1917年12月1日[9] - 1919年12月1日[10]
- 須藤平三郎 大尉:1919年12月1日[10] - 1920年12月1日[11]
- 加藤正 大尉:1920年12月1日[11] - 1921年1月25日[12]
- 須賀彦次郎 大尉:1921年1月25日 - 1922年12月1日
- 五十嵐恵 大尉:1922年12月1日[13] -
- 新美和貴 大尉:1923年12月1日 - 1924年4月10日
- 西岡茂泰 大尉:1924年4月10日 - 1925年8月1日
- 勝野実 大尉:1925年8月1日 - 1925年12月1日
- 中川浩 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本海軍史』第7巻、290頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
- ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.562『(艦名)白露|(艦種)三等驅逐艦|長(米)69.19|幅(米)6.58|吃水(米)1.83|常備(噸)381|基準(噸)320|速力(節)29|(乗員數)62|(短艇數) |(製造所)三菱長崎造船所|(起工年月日)38-2-15|(進水年月日)39-2-12|竣工年月日39-8-23|(大砲)8c/m 6|(機銃) |(發射管) |(探照燈)1|機械(種類)直立三段膨張式 (數)3|(種類)艦本式 (數)5|(推進器)3|(備考)華府會議以後建造艦船ノ常備排水量ハ参考トス』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.54『明治三十九年二月十五日(達一四)艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「追風」ノ次ニ「白露」ヲ加フ』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64-66『◎艦艇類別等級 大正十五年十一月二十九日(内令二三八)艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表)』-『驅逐艦|一等|第一號型|第一號、第三號、第七號、第九號、第十一號、第十三號、第十五號、第十七號』-『驅逐艦|三等|白露、三日月』-『掃海艇|潮型|潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、磯波、水無月、長月、菊月、綾波、子日、朝風、若葉、春風、初雪』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年四月一日(内令九〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部海防艦二等ノ項中「千歳、明石、」ヲ、砲艦一等ノ項中「最上、」ヲ削ル|驅逐艦三等ノ項中「白露型」及「白露、三日月」ヲ削ル|掃海艇ノ部中「潮型」ヲ「浦波型」ニ改メ同部中「潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響」及「、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ削ル』
- ^ #除籍駆逐艦(2)pp.20-21『舊白露(千噸以下)(略)(昭和三.四.一驅逐艦籍ヨリ除カル)』
- ^ a b 「海軍辞令公報 大正4年5月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071200
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ 『官報』第2543号、大正10年1月26日。
- ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
参考文献
[編集]- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。