甲斐修侍
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名前 | ||||||
愛称 | シュウ | |||||
カタカナ | カイ シュウジ | |||||
ラテン文字 | KAI Syuji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年3月22日(52歳) | |||||
出身地 | 宮崎県 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 62kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | アラ/フィクソ | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1998 | アズー | |||||
1998-1999 | エスポルチ藤沢 | |||||
2000-2017 | カスカヴェウ/ペスカドーラ町田 | |||||
代表歴 | ||||||
東京都選抜 | ||||||
関東選抜 | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
甲斐 修侍(かい しゅうじ、1972年3月22日 - )は、宮崎県出身のフットサル選手・フットサル指導者。FリーグのASVペスカドーラ町田監督。株式会社CASCAVEL FUTSAL CLUBE代表取締役会長。ポジションはアラ・フィクソ。カスカヴェウ時代のチームメイトだった林善徹が代表を務めるスターポリスとマネジメント契約を結んでいる。
経歴
[編集]宮崎県出身。小学3年時に大阪府の高槻松原FCでサッカーをはじめ、6年時には第7回全日本少年サッカー大会で3位となって優秀選手に選ばれた[1]。中学年代でも高槻松原FCでプレーし、中学2年時にはU-15サッカー日本代表としてタイに遠征し、プリンセスカップに出場して準優勝した[1]。大阪府立阿武野高等学校を卒業後、社会人サッカークラブの東大阪FCやFC KYOKENでプレー[1]。1996年夏にはプロサッカー選手を目指したが契約には至らず、山中湖スポーツセンターに就職してフットサルコートで働いた[2]。24歳だった1996年末には広山晴士や安田和彦や黒岩分幸らとフットサルクラブアズーを結成し、山中湖スポーツセンターのバックアップを受けた[2]。山中湖スポーツセンターでは全国規模のフットサル大会が開催されるなどし、日本のフットサル黎明期にはフットサルのメッカのひとつだった[2]。
アズーは日系ブラジル人の眞境名オスカーらを擁し、1998年1月の第3回全日本フットサル選手権大会に山梨県代表として出場、ルネス学園甲賀サッカークラブに敗れはしたものの準優勝した[3]。1998年にはアズーがエスポルチ藤沢とファイルフォックスのふたつに分かれた。甲斐は市原誉昭とともに神奈川県にエスポルチ藤沢を設立し、眞境名オスカーは東京都府中市にファイルフォックスを設立した。甲斐と市原はブラジルのカスカヴェウという町に短期留学し、この町の名称が後に設立するカスカヴェウの由来となった。ブラジルのカスカヴェウでは日本人初のプロフットサル選手としてプレーし、2000年にはブラジル・サンパウロ州公認フットサルコーチングライセンスを取得している[1]。
2015年1月には監督の関野淳太が辞任して岡山孝介が新監督に就任したが、これと同時に甲斐は選手兼任コーチに就任した[4]。
2016年6月9日、ペスカドーラ町田公式サイトにて、2016-17シーズン限りで現役を引退することが発表された[5]。レギュラーシーズンのホーム最終戦終了後には引退セレモニーが行われた[6]。
息子は川崎フロンターレの下部組織に所属しており、2015年には川崎フロンターレ U-12で背番号5番をつけた[7]。
所属クラブ
[編集]サッカー
[編集]フットサル
[編集]- 1997年-1998年 アズー
- 1998年-1999年 エスポルチ藤沢
- 2000年-2017年 カスカヴェウ/ペスカドーラ町田
個人成績
[編集]フットサル
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | オーシャン杯 | 全日本選手権 | 期間通算 | |||||||
2000 | カスカヴェウ | 東京都 | |||||||||
2001 | |||||||||||
2002 | |||||||||||
2003 | |||||||||||
2004 | 関東 | ||||||||||
2005 | |||||||||||
2006 | |||||||||||
2007-08 | 町田 | 5 | Fリーグ | 19 | 8 | ||||||
2008-09 | 7 | 0 | |||||||||
2009-10 | 15 | 1 | |||||||||
2010-11 | 15 | 2 | |||||||||
2011-12 | 25 | 3 | |||||||||
2012-13 | 26 | 3 | |||||||||
2013-14 | 32 | 0 | |||||||||
2014-15 | 14 | 1 | |||||||||
2015-16 | |||||||||||
通算 | 日本 | Fリーグ | 144 | 18 | |||||||
総通算 |
書籍
[編集]- 甲斐修侍『甲斐修侍のフットサルバイブル カリスマプレーヤーが教える「勝つ!」フットサル・コーチング』日本文芸社、2003年
- フットサルナビ編集部『甲斐修侍perfect technique』(白夜ムック)白夜書房、2006年
脚注
[編集]- ^ a b c d 甲斐修侍: インタビュー TIMEX
- ^ a b c 第1章チーム勃発(3)アズー フットサル関東三国志 2010年4月28日
- ^ 関東フットサル三国志/第1章「その4 : 横浜マリノスが参戦した第3回全日本選手権」 Futsal Edge 2015年4月8日
- ^ ペスカドーラ町田・甲斐修侍選手「選手権でのあの集中力、緊張感は宝物」 デジタルピヴォ! 2015年7月8日
- ^ “No.5甲斐修侍選手 今シーズン限りで引退のご報告。”. ペスカドーラ町田. 2017年2月15日閲覧。
- ^ “ペスカドーラ町田、ホーム最終戦を白星で飾る 甲斐選手の引退セレモニーも”. 町田経済新聞. (2017年2月14日) 2017年2月15日閲覧。
- ^ オフィシャルライター加藤未央のダノンネーションズカップ観戦記 ダノンネーションズカップ
外部リンク
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