コンテンツにスキップ

甲斐中文治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

甲斐中 文治郎(かいなか ぶんじろう、1898年明治31年)1月17日[1] - 1974年昭和49年)12月24日[2])は、日本の弁護士[3]政治家衆議院議員 (1期) を務めた。

経歴

[編集]

兵庫県城崎郡五荘村(現・豊岡市)栃江に生まれる[3]。苦学の末、弁護士となり、内務省嘱託[2]斎藤隆夫の秘書になった[3]1947年五荘村長に就任、1950年に合併による豊岡市発足まで務めた[3]。斎藤隆夫の死(1949年)を受けて地盤を受け継ぎ、1952年第25回衆議院議員総選挙において兵庫5区から自由党公認で出馬して初当選[4]1953年第26回衆議院議員総選挙で落選[4]1958年の豊岡市長選では現職の佐川辰夫に敗れた[3]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『五荘村史』894頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』165頁。
  3. ^ a b c d e f 四季の彩り Blog
  4. ^ a b 『朝日選挙大観』531頁。

参考文献

[編集]
  • 『五荘村史』五荘村史編集委員会、1963年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。