伊賀定盛
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伊賀 定盛(いが さだもり、1921年(大正10年)2月28日[1] - 1990年(平成2年)9月1日[1][2])は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員(4期)、兵庫県城崎郡余部村長。
来歴
[編集]兵庫県城崎郡余部村(香住町[3]を経て現香美町)出身。1944年(昭和19年)関西大学法文学部卒業[3]。その後、中央大学でも学んだ[2][注釈 1]。従軍し陸軍主計少尉で除隊した[2]。
1947年(昭和22年)余部村長に初当選[2]。兵庫県立豊岡高等学校教諭を務め[2]兵庫県高等学校教職員組合但馬支部書記長に在任[3]。1950年(昭和25年)兵庫県議会議員に初当選し、以後3期務める。兵庫県議会日本社会党議員団幹事長、兵庫県日本社会党県本部副委員長[2]などを歴任した。
1967年(昭和42年)第31回衆議院議員総選挙で兵庫5区に日本社会党公認で出馬し初当選[4]。以降当選4回[1][2]。日本・中国農業農民交流兵庫県協会長、社会党災害対策特別委員会事務局長[2]、兵庫県商業振興協同組合理事長[2]などを歴任。この間1970年(昭和45年)の兵庫県知事選に社会と共産両党の推薦で出馬するも、自民と民社が推薦した前兵庫県副知事坂井時忠に敗れている。1983年(昭和58年)第37回総選挙に落選し[5]政界から引退。1990年9月1日死去、69歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[6]。戒名は正覚院律道盛心居士[7]。
国政選挙歴
[編集]- 第31回衆議院議員総選挙(兵庫県第5区、1967年1月、日本社会党公認)当選[4]
- 第32回衆議院議員総選挙(兵庫県第5区、1969年12月、日本社会党公認)次点落選[8]
- 第33回衆議院議員総選挙(兵庫県第5区、1972年12月、日本社会党公認)次点落選[8]
- 第34回衆議院議員総選挙(兵庫県第5区、1976年12月、日本社会党公認)当選[8]
- 第35回衆議院議員総選挙(兵庫県第5区、1979年10月、日本社会党公認)当選[9]
- 第36回衆議院議員総選挙(兵庫県第5区、1980年6月、日本社会党公認)当選[9]
- 第37回衆議院議員総選挙(兵庫県第5区、1983年12月、日本社会党公認)次点落選[5]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『現代政治家人名事典』26頁では昭和24年に中央大学卒。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『朝日年鑑〈1981年版〉』朝日新聞社、1981年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。