玄蕃新田
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■玄蕃新田 | |
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北緯35度53分24.85秒 東経139度42分49.56秒 / 北緯35.8902361度 東経139.7137667度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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区 | 緑区 |
旧市域 |
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人口 | |
• 合計 | 209人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
336-0961[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標は浦和大学付近 |
玄蕃新田(げんばしんでん)は、埼玉県さいたま市緑区の大字。郵便番号は336-0961[2]。
地理
[編集]さいたま市緑区東部の大宮台地(鳩ヶ谷支台)上に位置する。かつては2か所に分かれて存立しており、東北自動車道浦和本線料金所の西、浦和大学の東に位置する玄蕃新田が本田であり、浦和美園駅からさいたまスタジアム周辺にある玄蕃新田[4]は新田であった。新田のほうが本田より広く、新田の機能を有していたエリアも広かったが、みそのウイングシティの土地区画整理事業により2017年2月に美園の一部となり[5]、新田側の玄蕃新田は消滅した。本田は範囲が狭く、現在も畑地が残り宅地化はあまり進んでいない。なお、本田は高台であるため、畑ばかりで水田は存在しておらず、江戸時代は新田側の人口のほうが本田側より多かった。したがって、本来飛地であるはずの新田のほうが栄えているという現象が起こっていた。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する玄蕃新田として独立していた。元禄年間までに下野田村から分村されたものと推定される[6][7]。
- 発足時は幕府領、その後一部が旗本加藤氏の知行となる[6]。
- 幕末時点では足立郡玄蕃新田であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領と旗本加藤酉之助の知行であった[8]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大門町・下野田村・北原村・間宮村・差間村と玄蕃新田が合併し、大門村が成立[9]。大門村の大字玄蕃新田となる[6]。
- 1956年(昭和31年) 4月1日 - 野田村・戸塚村・大門村が合併し、美園村が成立[9]。同村の大字となる。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 美園村のうち、旧大門村のうち差間・行衛を除く区域と旧野田村が浦和市に、旧戸塚村と旧大門村のうち差間・行衛が川口市にそれぞれ編入される[9][10]。浦和市の大字となる。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、同市緑区の大字となる。
- 2017年(平成29年)2月18日 - 一部(新田)が美園一丁目 - 五丁目の各一部となる[5]。
小字
[編集]世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大字玄蕃新田 | 77世帯 | 209人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[11]。
区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立大門小学校 | さいたま市立美園中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は、全域が埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の浦和美園駅である。
道路
[編集]施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月3日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 『でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、106頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
- ^ a b “さいたま市 区政概要(平成30年度版)” (PDF). さいたま市. p. 7 (2018年8月). 2019年1月27日閲覧。
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 353ページ。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 457ページ。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ a b c 『わがまち浦和』 巻末付録(ページ番号なし)。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420ページ。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。全国書誌番号:83024476、NCID BN10203371。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- さいたま市地図情報 - さいたま市
- さいたま市緑区ガイドマップ - さいたま市