片村四八
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片村 四八 | |
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生誕 |
1888年11月16日 大日本帝国 広島県 |
死没 |
1969年8月16日(80歳没) 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911 - 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 |
第15軍司令官 第54師団長 歩兵第5旅団長 中支那碇泊場監 |
戦闘 |
日中戦争 第二次世界大戦 *ビルマの戦い |
片村 四八(かたむら しはち、1888年11月16日 - 1969年8月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]広島県出身。片村武八郎の三男として生れる。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉任官、歩兵第41連隊付となる。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業。
歩兵第41連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、陸大教官、歩兵第73連隊大隊長、陸軍運輸部員などを経て、1931年(昭和6年)8月、第12師団参謀となった。翌年2月、混成第24旅団参謀となり、関東軍交通部員、陸軍運輸部員、第11師団参謀長などを歴任。1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し中支那碇泊場監となる。
1940年(昭和15年)3月、歩兵第5旅団長となり満州に駐屯。1941年(昭和16年)8月、陸軍中将に進み第54師団長に親補された。ビルマの戦いに従軍。1944年(昭和19年)9月、第15軍司令官に就任し、インパール作戦後の戦力の再建に努力した。その後、第15軍は第18方面軍に編入されタイに移動し、ランパンにおいて終戦を迎えた。1946年(昭和21年)3月に復員。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]