熊谷直続
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直続終焉の地、赤穴瀬戸山城 | |
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 永正7年(1510年) |
死没 | 天文11年6月7日[1](1542年7月19日) |
別名 | 通称:平蔵[1]、平三[1] |
墓所 | 島根県飯石郡飯南町瀬戸山城付近 |
主君 | 武田元繁→毛利元就 |
氏族 | 桓武平氏国香流熊谷氏 |
父母 | 父:熊谷元直[2]、母:不詳 |
兄弟 |
信直、女(白井房胤室)[1]、 女(武田光和室、三須房清室)[1]、直続 |
子 |
女(熊谷直清室) 養子:直清 |
熊谷 直続(くまがい なおつぐ)は、戦国時代の武将。安芸の国人で安芸武田氏家臣・熊谷元直の子。熊谷信直の弟。三入観音寺山城主。
生涯
[編集]永正7年(1510年)、安芸国の国人・熊谷氏の当主である熊谷元直の次男として生まれる。
直続がまだ幼少である永正14年(1517年)10月22日に父・元直が討死し、成長後は兄・信直に従い、各地を転戦した。
天文11年(1542年)、大内義隆による出雲侵攻に従い、赤穴氏の瀬戸山城攻略中に赤穴光清の手勢と戦い、同年6月7日に討死した。兄の子で、婿養子となっていた直清が跡を継いだ。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 238.
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, pp. 237–238.
参考文献
[編集]- 防長新聞社山口支社 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション