源師光 (村上源氏)
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時代 | 平安時代後期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 天承元年(1131年)頃 |
死没 | 元久元年(1204年)頃 |
改名 | 師光→生蓮(法名) |
別名 | 小野宮侍従 |
官位 | 正五位下、右京権大夫 |
主君 | 六条天皇→高倉天皇 |
氏族 | 村上源氏 |
父母 | 父:源師頼、母:藤原能実の娘 |
兄弟 | 師能、師教、師光、証遍、師綱、証禅、藤原重通室、藤原光隆室、源基平室 |
妻 | 後白河院安芸(巨勢宗成の娘) |
子 | 泰光、具親、後鳥羽院宮内卿、尋恵、澄覚 |
源 師光(みなもと の もろみつ)は、平安時代後期の貴族・歌人。村上源氏、大納言・源師頼の子。官位は正五位下・右京権大夫。歌人として名高い後鳥羽院宮内卿の父である。
経歴
[編集]父・師頼は大納言まで進み、師光自身も左大臣・藤原頼長の猶子となるものの、官途的には不遇で官位は正五位下・右京権大夫に留まる。侍従を務め、小野宮侍従とも呼ばれた[1]。50歳頃出家して生蓮と号した。
人物
[編集]和歌に優れるが、九条兼実には「和歌の外他芸無し」と評されている[2]。
勅撰歌人として『千載和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に26首が採録されている[3]。家集に『師光集』がある。また、私撰集『花月集』があったとされるが、散逸して現存しない。