渡辺由己
Ynshimi WATANABE | |
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基本情報 | |
名前 | 渡辺 由己 |
生年月日 | 1948年12月17日(76歳) |
身長 | 163 cm (5 ft 4 in) |
体重 | 58 kg (128 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県 |
経歴 |
渡辺 由己(わたなべ よしみ、1948年12月17日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]15歳からゴルフを始め[2]、1970年にプロ入りする[1]。
1975年のアジアサーキット・インディアンオープンでは日本勢でミヤ・アエ( ビルマ)、ベン・アルダ( フィリピン)と並んで4位タイの岩下吉久に次ぎ、ハワード・トウィッティ( アメリカ合衆国)らと並んでの9位タイ[3]に入った。
1975年の総武国際オープンでは2日目に沼澤聖一・尾崎将司・山本善隆、ビル・ダンク(オーストラリア)と並んでの5位タイ[4]、3日目には山本・杉本英世、ベン・アルダ(フィリピン)、テッド・ボール(オーストラリア)と並んでの3位タイ[5]に着けた。
1976年の美津濃トーナメントでは2日目に69をマークし、草壁政治・浦西武光・内田繁に次ぐと同時に鈴木規夫を抑えての5位[6]に入った。
1976年の関東プロでは最終日には69をマークして森憲二・尾崎将・上原宏一と並んでの9位タイ[7]に入り、1977年のブリヂストンオープンでは初日を鈴木・横島由一・山本善、アル・ガイバーガー(アメリカ)と並んでの8位タイ[8]でスタートした。
1978年の千葉県オープンでは初日に69をマークして首位の上原忠明と1打差2位[9]でスタートし、最終日も上原に1打及ばず2位[10]に終わった。
1992年の茨城オープンで加藤仁・岩下・大井手哲・芹澤大介・森茂則に次ぐと同時に江本光・小泉清一・町野治・小溝高夫と並んでの6位タイ[11]に入り、同年のジーン・サラゼン ジュンクラシック[12]を最後にレギュラーツアーから引退。
1999年にはTPCシニアで冨田三十士と並んでの8位タイ[13]、2000年には北海道シニアオープンでは川俣茂と並んでの3位タイ[14]、キャッスルヒルオープンでは金井清一・中山徹・長谷川勝治と並んでの6位タイ[15]、日本プロシニアでは高橋勝成・田中文雄・海老原清治に次ぐ5位[16]に入った。
脚注
[編集]- ^ a b “渡辺 由己 ワタナベ ヨシミ YOSHIMI WATANABE”. www.smile-pga.jp. 2024年3月16日閲覧。
- ^ a b “渡辺 由己選手のプロフィール”. www.jga.or.jp. 2024年3月16日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p954 昭和50年3月31日朝刊17面「豪のボールが初優勝 インド・オープン」
- ^ 朝日新聞縮刷版p591 昭和50年4月19日朝刊17面「新人坂下、首位に立つ 7バーディー 通算で10アンダー 総武オープン」
- ^ 朝日新聞縮刷版p622 昭和50年4月20日朝刊14面「許、5アンダーの首位 坂下、OBも出し崩れる 総武オープン第三日」
- ^ “第6回 1976年(昭和51年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2024年3月16日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p240 昭和51年8月9日夕刊6面「村上ゆうゆう関東一 新人中島、四打差の二位 関東プロゴルフ最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p949 昭和52年10月28日朝刊17面「謝永郁リード ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p335 昭和53年8月11日朝刊15面
- ^ 朝日新聞縮刷版p364 昭和53年8月12日朝刊14面
- ^ “【公式】水戸グリーンカントリークラブ”. www.mgcc.jp. 2024年3月16日閲覧。
- ^ “渡辺 由己選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年3月16日閲覧。
- ^ “TPCゴルフシニアトーナメント”. 2003年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月2日閲覧。
- ^ “第4回北海道シニアオープン”. 2003年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月2日閲覧。
- ^ “キャッスルヒルオープンゴルフトーナメント”. 2015年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月2日閲覧。
- ^ “第39回日本プロゴルフシニア選手権大会”. 2015年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月2日閲覧。